岐阜県 美濃金山城2023年09月17日

美濃金山城は岐阜県可児市の山城で、続100名城の一つです。
1538年に斎藤正義が築城した烏峰城が始まりですが、正義は 1548年に誅殺され、斎藤道三の家臣だった長井道利が城主になります。 織田信長が美濃を支配すると、1565年に森可成が城主となり、その時に金山城に改名されます。 金山城は森氏が領有しますが 1600年の関ヶ原合戦の前に森忠政が川中島に転封すると石川貞清へと渡ります。
しかし、西軍に組した石川貞清は敗戦、1601年に金山城は廃城になります。

可児市観光交流館
続100名城のスタンプはここに置かれています。
ここでスタンプを押した後、パンフレットを貰って金山城の見学へ..。
ここまでの道が思ったよりも細く、地元と思われる車が結構速くて少し怖かったですね...。
可児市観光交流館

美濃金山城登山口 駐車場
細い林道を登って登山口の駐車場に到着。
駐車場は思ったよりも広かったです。
見学者も思ったよりもいました。 結構、山の上の方まで登れるので見学は楽だと思います。
美濃金山城登山口 駐車場

出丸跡
バイクを停めた駐車場の隣は、元々、出丸だった場所のようです。
門や多門櫓のような建物が存在していたと考えられています。 南側の石垣は当時の遺構のようですが、手前の方は綺麗だったので、多分、駐車場を整備した時に積み直した部分だと思います。
奥の方に当時の石垣が残っていたのだと思います。
美濃金山城・出丸

美濃金山城・出丸

山道も、ちゃんと整備されているので登りやすいです。
ただ、「猪出没注意!!」の看板が気になりました...。
今の所、山城の散策で熊や猪に出会った事は無いですが、最近、人と野生動物との接触が多い見たいですね...。
美濃金山城

三之丸門跡
多分、左端の大きな石が門の礎石かな..。 奥に見えるのは多分、三之丸だと思います。
案内板には、「門の先が水の手二之丸」とのがあったのですが、三之丸の間違えでしょうか?
手持ちの地図を見ても、「水の手」は三之丸のように見えるのですが...。
多分、普通に考えて、この門は三之丸の正面入り口なのだと思います。
美濃金山城・三之丸門跡

三之丸
奥行のある郭です。 古城山払下げ記念碑がありました。
現在は自由に美濃金山城へ入れますが、そうなったのは 1953年の払下げ以降のようです。
廃城後は尾張藩の管理となり村人は立ち入り禁止となり、明治時代に皇室の御料林になります。 その後は国有林でした。
立ち入りが制限されていたおかげで、城の遺構が残ったのかも知れませんが...。
美濃金山城・三之丸

美濃金山城・古城山払下げ記念碑

水の手虎口
三之丸の奥の方に行った先にある虎口です。
ただ、案内板を見るとこの辺りが「水の手」のようなので、やはり、「水の手」は三之丸の一部に思えますね...。 もしかしたら、二之丸が帯曲輪のように細長いのかも知れませんが、素人なのでそこまでは良く分からないです...。
この先は麓の村に通じていたようなので、こっちが三之丸の入り口で、先ほどの三の丸門は二之丸に通じる道しょうか? ちょっとわかりにくいですね...。
美濃金山城・水の手虎口

二之丸西面の石垣
野面積みの石垣です。
自然に崩落したのではなく、意図的に崩された石垣のようです。
廃城になった城は再利用されると危険なので、石垣などは崩される場合が多いです。
美濃金山城・二之丸西面の石垣

西腰曲輪
本丸の周辺には腰曲輪が配置されており、ここは本丸の西側にある腰曲輪です。
礎石が見つかっているとの事なので、何かしらの建造物があったようです。
ここからは本丸周辺の石垣が良く見えます。
意外と石垣が残ってますが、誰の時代の石垣なのでしょうか? 城の主だった期間が長い森氏の時代かな?
美濃金山城・西腰郭

美濃金山城・本丸の石垣

二之丸
土塁で囲まれていたようで、侍屋敷や物見櫓などがありました。
礎石の形状から、建物には渡り廊下があったようです。
美濃金山城・二之丸

二之丸の物見櫓跡
二之丸の南端の部分で、この辺りに物見櫓がありました。
今は、背丈の高い木が多いので見渡せませんが、城だった頃はこんなに木が無かったはずです。
ここは、街道の監視をするには良い場所だったようです。
美濃金山城・二之丸物見櫓跡

大手枡形虎口
左側が一の門で、手前の方に二の門がありました。
犬山市瑞泉寺の表門は、ここにあった門を移築した物と伝わっています。 そのまま移築したとは思いませんが、金山城の建物は残っていないので、貴重な物なのかも知れません。
石垣が少し低い感じがするので、塀か建物で囲まれていた感じでしょうか?
美濃金山城・大手枡形虎口

美濃金山城・大手枡形虎口

南腰曲輪
情報が少ないのですが、ここからも礎石跡が見つかっているようです。
多分、何かしらの建物があったのでしょう。
さらに上の本丸を目指します。
美濃金山城・南腰曲輪

天守台石垣
場所的には本丸下の部分だと思います。
案内板には「天守台西南隅石」とありました。 多分、この上に天守があったと推定されてるのでしょう。 本丸周辺は、高い石垣で囲まれていたのかも知れません。
しかし、金山城には本当に天守があったのでしょうか?
美濃金山城・天守台石垣

本丸虎口
綺麗な枡形虎口です。
虎口に入った正面石垣の前には、四つの礎石が見つかっています。
石垣の上には建物があり、内側に張り出すような建物で虎口を囲んでいたようです。
美濃金山城・本丸虎口

美濃金山城・本丸虎口

本丸
本丸からは多くの礎石が見つかっており、その事から本丸の半分くらいは建物で埋まっていたようです。 その事から、御殿のような建物があった事が考えられます。
金山城の城主の移り変わりを見ると、森氏の激闘の歴史が見えてきます。
森氏最初の城主となった森可成は、1570年に宇佐山城の戦いで討ち死にしています。 
長成が川中島に転封した後に城主になった成利(乱丸)は、1582年の本能寺の変で討ち死にです。
成利の死後、再び城主となった長成は、1584年の小牧・長久手の戦いで討ち死にしています。
森氏最後の城主となった忠政以外は全員死んでますね...。
美濃金山城・本丸

本丸からの眺めは良いです。
兼山ダムが良く見えます。
美濃金山城・本丸からの眺め

東腰曲輪
搦手口側を防御する曲輪で、侍屋敷の他、井戸などもあったようです。
この先は搦手道で、山を下ると米蔵跡があります。 そこまで行って戻って来る気力が無いので、ここで引き返す事にします。
美濃金山城・東腰曲輪

美濃金山城・東腰曲輪

大堀切
駐車場に戻った後、大堀切を見に行く事にします。
ただ、近くに駐車場が無く、バイクを停めた場所から歩いて行ったのですが、結構大変でした...。
南北 50m、幅 4~7m、高さ 10m もある大きな堀切です。
歩くのは大変でしたが、見応えのある堀切でした。
美濃金山城・大堀切