長野県 犬甘城跡2025年07月20日

長野県松本市の「城山公園」は、かつては犬甘(いぬかい)氏の要害城だったと考えられている場所です。
正平年間(1346 ~ 1370年)に犬甘氏によって築城されたと伝わりますが、あまり詳しい事は分かって無いようです。
戦国時代になると犬甘氏は小笠原氏に仕えていたようで、小笠原氏の本城である林城の支城として使われていたようです。
1550年に武田晴信(信玄)が侵攻すると小笠原氏は敗走、犬甘城は抵抗したようですがその後、落城、城は使われる事が無くそのまま廃城になったようです。
なお、犬甘氏はその後も小笠原氏の重臣として仕え続けたようです。

駐車場
城山公園の北側に駐車場があるのでそこにバイクを停めました。
特に訪問を計画していた場所ではありませんが、Google Map を見ていて目に入ったので立ち寄る事にしました。
駐車場は結構広いので、よほどの事が無ければ停める場所に困る事は無いと思います。
犬甘城跡の入り口は駐車場から少し離れてました。 たいした距離では無いのですが、気温が異常に高かったので、こんな日はちょっとした距離でも歩くのがしんどいです。
犬甘城跡・駐車場

城山公園の大体、半分くらいが低い山のようになっており、その山の部分が犬甘城だった場所のようです。 犬甘城は戦国時代には廃城になってましたが、江戸時代に松本藩の管理下に入ると、1843年には公園として庶民に開放していたようです。
犬甘城跡・城山公園

三ノ曲輪
公園内の遊歩道を少し歩くと右側に小さな山が見えてきます。
そこが犬甘城だった場所のようで、一番北側にあるのが三ノ曲輪です。
三ノ曲輪は、一ノ曲輪と二ノ曲輪の東側を守る腰曲輪のようで、細長い形状をしてます。
犬甘城跡・三ノ曲輪

犬甘城跡・三ノ曲輪

犬甘城跡・三ノ曲輪

一ノ曲輪
三ノ曲輪から一ノ曲輪に登ります。
一ノ曲輪には四阿があります。 広さはそこそこと言った感じでしょうか?
江戸時代には公園として使用されていたようですが、思ったよりも城だった頃の面影が残っている感じがします。
犬甘城跡・一ノ曲輪へ

犬甘城跡・一ノ曲輪

一ノ曲輪から三ノ曲輪を見下ろした所です。
意外と落差があります。
犬甘城跡・三ノ曲輪を見る

二ノ曲輪
一ノ曲輪の隣にある曲輪です。
歩いていたらそのまま着いてしまった感じで、境目がそれほど印象に残ってません。
当時は、一ノ曲輪と二ノ曲輪の間にもっとはっきりした堀があったのだと思います。
犬甘城跡・二ノ曲輪

二ノ曲輪と四ノ曲輪の間にある堀切です。
立派な堀切で、これを見ると城跡だった事がはっきりと分かります。
結構、幅があるので、当時は引橋でもあったのでしょうか?
発掘調査とかはしてるのかな?
犬甘城跡・堀切

犬甘城跡・堀切

四ノ曲輪
個々の曲輪はそれほど広くは無い印象です。
犬甘城は曲輪が直線的に並ぶ連郭式の縄張りのようです。
ここから五ノ曲輪との間は少し離れており、一度、下に降りてから移動する感じになります。
犬甘城跡・四ノ曲輪

犬甘城跡・四ノ曲輪

稲荷神社
現在、五ノ曲輪には稲荷神社が鎮座しています。
松本藩四代藩主、松平直政が尊崇していたようで、現在の松江神社は、松平氏が松江藩に移封になった時にこの稲荷神社を分祀して松江に迎えたのが始まりのようです。
もしかしらた、昔はもっと大きな神社だったのかも知れないですね..。
犬甘城跡・稲荷神社

犬甘城跡・稲荷神社

五ノ曲輪
ここの曲輪も、それほど広くは無いです。
一~四ノ曲輪から少し離れているので孤立しそうな感じがします。
それほど高い山の上でも無いので、武田信玄の大群に囲まれたら耐えるのが厳しいような印象を受けました...。
隣の六ノ曲輪に行きましょう。
犬甘城跡・五ノ曲輪

犬甘城跡・五ノ曲輪

犬甘城跡・五ノ曲輪

六ノ曲輪
展望台があるのが六ノ曲輪です。
ここもそれほど広くは無かったです。
江戸時代から公園化されている場所なので、地形も少し変わっているのかも知れません。
とは言え、思ったよりも城だった頃の痕跡が残っていました。 寄り道して良かったです。
犬甘城・展望台

犬甘城・六ノ曲輪

江戸時代に公園化した時には桜や楓を数千本植樹したようです。
当時の領民もここから町の方を眺めたのでしょうか?
当時、ここから見えた風景はどんな感じだったのだろう...。
犬甘城からの眺め

松本城の近くにある城跡なのですが、この城跡の存在は知りませんでした。
調査とかが進んで、当時の遺品とかが見つかる良いですね。