京都府 上賀茂神社 ― 2026年01月10日
上賀茂神社は京都最古の神社とも言われてます。
神武天皇の代に神社裏の神山に賀茂別雷大神が降臨した伝説を元に、667年に創建された賀茂神社が始まりとなります。 それ以来、ほとんど変わっていないとも言われてます。
正式名称は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」です。
また、上賀茂神社は世界遺産「古都・京都の文化財」の構成資産の一つです。
大鳥居
上賀茂神社に来たのは、実に 17年ぶりです。
京都な何度も来てますが、上賀茂神社は京都駅から結構離れていて行きずらい場所なので足が遠のいてしまいました。
また、道路の混雑を緩和する為、下岸町のバス停で降りてそこから歩く事になりました。
ここに来る前の一乗寺方面は人も少なく静かな場所でしたが、御薗橋まで歩いてくると一乗寺方面とは比べ物にならないくらいの混雑でした。
一の鳥居
一の鳥居の先は一直線の参道が二の鳥居まで続きます。
鳥居のしめ縄や参道の「のぼり」は初詣仕様だと思います。
馬場殿
他にも外幣殿、御所屋など、いろいろな呼び名があるようです。
法皇、上皇等の御幸の際の着到殿ですが、競馬会神事、葵祭などにも使用されます。
訪問時は、新春 書道奉納が行われてました。 展示されているのは書道家・高岡亜衣氏の書です。 現在の建物は 1628年に造変替。
神馬舎
訪問時は空でした。
出社予定が書いてあり、どうやら1日早かったようです。
普段は牧場でのんびり過ごしているのですかね...。
神馬の名前は神山号です。 訪問時の神山号は 10代目で、かなり高齢だったようです。
二の鳥居
一の鳥居の直線上に二の鳥居がありますが、2つの鳥居は平行ではありません。
二の鳥居側が少し傾いています。
これだけ敷地があれば、平行に鳥居を設置する事は可能だったと思います。
理由は諸説あるようですが、確かに少し不自然な配置です。
なお、二の鳥居より内側の建物は、ほとんどが重要文化財の指定を受けています。
楽屋
現在の建物は 1628年に建て替えられた物です。
神仏習合時代に供僧が用いた建物のようです。
上賀茂神社の神仏習合はそれほど深くは無かったようですが、明治の神仏分離令までは神宮寺が境内に存在していたようです。
土屋
神主、社司の到着殿でしたが、現在は祓所として使用されているようです。
こちらも 1628年に建て替えられた物です。
こちらの建物には床も壁も無く、地面に埋められた礎石の上に柱が立てられています。
細殿
現在の建物は 1628年に建て替えられた物です。
皇族の人が本殿参拝前の支度をしたり休憩をする着到殿として使われていたようです。
現在では細殿で挙式を上げる事もできるようです。
細殿の前には一対の立砂が盛られていいます。
上賀茂神社の立砂は、賀茂別雷大神が降臨した神山を意味しており、立砂の頂にはそれぞれ 2本と 3本の松の葉が建てられています。
手水舎
上賀茂神社の手水舎は、神山のくぐり水を汲み上げて使用しているようで、飲料水としての基準も満たしているほど綺麗な水です。
浮かべられているのは橙ではなく橘のようです。 橘は日本古来からの希少な野生種です。
正月など、特別な時に浮かべられるようです。
楼門
現在の楼門は 1628年に建てられた物です。
朱色に塗られた建物は上賀茂神社の中では珍しいです。 この門より先が上賀茂神社の中心部になります。
この位置からは良く見えませんが、屋根は入母屋造で檜皮葺です。
手前の橋は御物忌川に架けられた玉橋です。 玉橋は渡る事が出来ません。
幣殿
楼門を通って右側にあるのが幣殿です。 幣殿はお供え物や祝詞(のりと)を奉上する為の建物です。 訪問時は全国の酒造会社によるお酒の奉納品がずらりと並んでました。
日本酒が多いですがワインとかも奉納されてますね...。
こちらの建物も 1628年に建てられた物です。
中門
ここから本殿、権殿に向かって参拝します。
権殿とは、本殿の修復が必要な時に一時的に遷ってもらう仮殿です。
普通、本殿に向かって参拝する場所が拝殿なのですが、ここは中門になっています。
上賀茂神社の場合は細殿が拝殿の役割なのですが、より本殿に近い中門から参拝できるようになっている為、中門が拝殿のように見えます。
門の近くにある巨大な破魔矢は正月用でしょうか...。
参拝を終えて脇道から楼門の方に戻ります。
片岡橋
玉橋の隣にある橋で、こちらは渡る事が出来ます。
案内が少し間際らしいのですが、1628年に再建されたのは片岡社の方らしく、この橋自体は 1868年(明治元年)に建てられた物のようです。
格式の高い唐破風屋根を持つ橋です。
橋殿
御手洗川の上に建てられた舞殿で、橋殿とも呼ばれています。
葵祭の時にはここから勅使が天皇からの御祭文を奏上します。
外観的には「舞殿」と言うよりは片岡橋のような屋根付きの橋に見えます。
こちらは 1863年に建て替えられた建物のようです。
御手洗川の方を通って帰る事にします。
御手洗川は川底が浅い、綺麗な水の小川でした。
上賀茂神社の中を流れる御物忌川は、祭の道具を清めるのに使用され、御手洗川の方は参拝者が身を清めるのに使われていたようです。
まぁ、今、ここでバシャバシャやったら怒られそうですが...。
あと、「みたらし団子」の発祥とされているのはこの川では無く、下鴨神社の御手洗池の方です。
岩本神社
岩の上に社が立てられています。
上賀茂神社の末社で、底筒男神、中筒男神、表筒男神の 3柱が祀られています。
交通安全の神様のようです。
賀茂山口神社
こちらも上賀茂神社の摂社のようですが、渉渓園の中には賀茂山口神社の拝殿まである大きな摂社です。 なにか、特別感がある摂社です。
859年には既に存在していたようで、沢田神社と呼ばれていたようです。 927年頃には賀茂山口神社と記した資料が残っているようです。 上賀茂神社の摂社になったのは明治時代に入ってからのようです。
願い石
賀茂山口神社の拝殿近くにある「願い石」です。 「陰陽石」とも呼ばれてるようです。
この石があるのは渉渓園と呼ばれている曲水庭園の中です。 渉渓園には龍が住む池があったととの言い伝えがあり、この石はその池の底から出土したと伝わります。
この石に両手で触れて願事をすると願が叶うと言われてます。 この石に両手で触れてから賀茂山口神社に参拝すると良いとの事。
ここはパワースポットとして知られているようで人が集まってました。
北神饌所
庁屋とも呼ばれている大きな建物です。
昔はここで神饌(神様にお供えする食事)が造られていたようです。
5月の賀茂競馬の時には騎手の準備や控室として使用されています。
1628年に建て替えられた建物のようです。
この近くには校倉があるのですが、説明が無くて何に使われているのか分かりませんでした。
まだ少し時間がありますが、朝から歩き続けて疲れたのでホテルに戻りましょう...。
そう言えば、バスのみの1日乗車券が廃止され、地下鉄とセットの1日乗車券しか買えなくなってましたね...。 どうやら道路の混雑を緩和させる為、地下鉄をもっと使ってもらいたいとの思いがあるようです。 これからは地下鉄を上手く使いたいですね...。
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