秋田県 久保田城 ― 2016年08月17日
1602 年、関ケ原の合戦後に秋田に転封された佐竹義宣によって築城されました。 佐竹氏は関ケ原では中立的な立場を取っていましたが、上杉景勝とも通じていたとも言われてます。 久保田城の築城により城下町は発展し、幕末まで佐竹氏が領主となります。
台風7号と共に北上した為、延々と豪雨の中を走り続けてやっと到着しました。 台風が太平洋よりを通過しているせいか、雨脚は少し弱くなったような気がします。 (それでも、結構な雨量ですが....。)
まずは佐竹資料館で100名城のスタンプを押します。
二の丸跡
かなりの広さがあります。 現在は綺麗に公園として整備されています。
雨がすごいので先に進みます。
長坂門跡
二の丸から長い石段(長坂)を上った先に、昔は長坂門があったそうです。 場所的に表門(一の門)の手前になる為二の門とも呼ばれていたようです。
御物頭御番所
表門と長坂門の間にあった建物で、久保田城唯一の現存建物です。
御物頭は足軽を指揮して長坂門の開閉や、城下の警備を担ってました。
1758 に火災で焼失しましたがその後再建され、それ以降は火災で焼失した記録が無いので、現在の建物はその頃の物と考えられています。
中にも入れるみたいでしたが、水浸し状態なので上がらずに下から写真を撮ります。
表門
一の門とも呼ばれていた表門です。
1622 年に最初の建て替えが行われた後、何度か火災の被害にあっているようです。 現在の建物は文献資料や発掘調査の結果から平成13年に復元したものです。
実際に表門で使われていた礎石が別の場所に移されて展示されています。
よく見ると真ん中に穴が開いてます。
本丸跡
本丸には御殿があったようですが天守や三層以上の櫓は無かったようです。 おそらく、徳川方の反感を避けていたのではとの事です。
しかし、この雨の中、訪問者は自分だけかと思いましたが、公園管理の人や少数の観光客など以外と人がいます ...。
本丸の周りが土塁っぽく盛られています。 当時の土塁跡でしょうか?
帯曲輪門跡
本丸の奥から二の丸へ通じる門で、本丸下の帯曲輪へ続いてました。
門の存在は確認されてますが、門の構造等は不明なようです。
埋門跡
土塁が途切れているこの場所の上に多門長屋を配置し、その下が出入り口になっていたようです。 緊急避難用の隠し門のような存在だったようです。
御隅櫓
秋田市政100周年を記念して建てられた御隅櫓です。 資料館、および、展望台として使用されています。
城内に8カ所にあった櫓のうち、一番高い場所に建てられました。 二層作りの当時の櫓を参考にしたとの事ですが、三層で建てられているので、当時の建物とは別物と考えた方が良さそうです。
足元がぬかるんでおり、さすがにこの雨だと散策が大変なので早めに切り上げる事にします。 公園としての整備が進みすぎて、昔の痕跡が薄らいでいるような気がしました。
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