大阪府 飯盛城 ― 2019年12月27日
飯盛城は享禄年間(1528 ~ 1532年)に畠山氏の家臣、木沢長政によって築城されました。
長政は畠山氏と細川氏、本願寺と法華宗との対立を利用しますが、1542年に太平寺で三好長慶に打ち取られます。 1551年に畠山高政の家臣だった安見宗房が長政の代わりに城主になりますが、1560年には長慶よって追放されます。
長慶の病没後、城は義継に引き継がれますが 1569年には若江城に拠点が移されていたようです。
飯盛城は 1575年に織田信長によって廃城になります。
大東市立歴史民俗資料館
当初は四条畷駅に近い四条畷市立歴史民俗資料館で続100名城のスタンプを押す予定でしたが、休館中だったことから野崎駅で下車して大東市立歴史民俗資料館でスタンプを押しました。
縄張り図も置いてあったので先に訪問した方が良いかと思います。
ここから飯盛城への登山口が不明だったので、駅に引き返して電車で四条畷駅に移動しました。
四条畷駅から四条畷神社の方に歩いて移動します。
しばらく歩くと飯盛山が見えてきました。 結構、高低差がありそうで手強そうな山です...。
四条畷神社
ここは、四条畷の戦いで敗れた楠木正行と一族の武将24柱を祀る神社です。
楠木正行は南北朝時代の南朝側武将で、四条畷で高師直に敗れて自害しました。
1890年(明治23年)に創建された神社なので、比較的新しい神社かと思います。
神社に参拝した後、いよいよ神社脇の登山道から飯盛城を目指します。
飯盛山の登山道は急な登り坂が長く続きます...。 久々に厳しい山城巡りになりました。
ひらけた場所が見えてきたので気力で登り続けます。
山頂かと思いきや、飯盛山はまだこの先...。
少し下ってまた登ります...。
Ⅵ郭
縄張り図ではⅥ郭と書かれている場所には飯盛山史跡碑があります。
その曲輪の手前は、虎口っぽい感じになっていました。
この手前にⅦ郭があったのですが、疲労困憊で気付かずに素通りしていました...。
奥に更に高い山が見えるので、山頂はまだ先のようです...。 少し休憩して先に進みます。
一度下ってから少し登ると登山道が壁に突き当たります。 この先がⅤ郭だと思います。
切岸のようになっており、直接登れないようになってます。
この辺りには巨大な堀切もありました。
飯盛城では最大規模のようです。 Ⅴ郭は強固に防御されている印象を受けます。
Ⅴ郭に向かって登り続けると野面積みの石垣も見る事ができます。
今回はここ以外では見つかりませんでしたが、飯盛城にはこのような石垣が他にも残されているようです。 ただ、余計な動きをするほど体力的な余裕が無いのでおとなしく先に進みます...。
Ⅴ郭(御体塚郭)
縄張り図に記載されているⅤ郭に到着します。
御体塚郭とも呼ばれているようで、三好長慶の遺体が埋葬されていると言う伝承に由来するようです。 郭には塚のような盛り上がった場所があり、記念碑のような物が建っていました。
当初、ここが山頂かと思って引き返しそうになりましたが、縄張り図を見て山頂はまだ先な事に気が付いて良かったです...。 本郭目指して先を進みます。
Ⅳ郭(三本松丸)
一度下った後、しばらく進むと三本松丸と呼ばれているⅣ郭に到着しました。
少し引き返すような場所にあるのでスルーしそうになりました...。
今までの郭もそうですが、郭周辺の土塁が見当たりません。 柵で囲っていただけでしょうか?
Ⅲ郭
ロープが設置されている険しい岩場を登るとⅢ郭に到着します。
倉屋敷郭や、穴口郭とも呼ばれているようです。 今までの郭と比べると広い印象を受ける郭で、名前から察するに何かしらの建物があったのかも知れません。
Ⅱ郭
この階段を登った先にあるのがⅡ郭になります。
Ⅱ郭は本郭とも呼ばれており、現在は展望台が設置されています。
大きな建物があるでいか、それほど広くは感じない郭です。
Ⅰ郭(高櫓郭)
さらにもう一段高い場所がⅠ郭になります。 入り口付近も虎口っぽく見えます。
Ⅰ郭は高櫓郭とも呼ばれている事から物見櫓のような建物があったのかも知れません。
ようやく山頂に到着です。 城の散策と言うより山登り状態だったので到着した時はクタクタでした。
山頂にあった「四条畷警察署管下警防団」と書かれた古い建物です。
昭和14年に建てられた建物ですが、どうやら国旗掲揚台だったようです。
良い感じに朽ちていて魅力的です。
こちらも山頂にあった楠木正行像です。
かなり若い印象を受ける像ですが、それもそのはずで、正行が自害した時は23歳っだようです。
(所説あるようで、30歳台だったと言う説もあるようです。)
後醍醐天皇への忠義だとは思いますが、彼は四条畷の戦は負けると分かっていたようで、死を覚悟して臨んていたようです。
同じ道を通っても面白く無いので、帰りは千畳敷郭から野崎観音の方に下山する事にします。
Ⅷ郭(千畳敷郭)
高櫓郭を下ってしばらく進むと NHK・FM大阪の飯盛山送信所が見えてきます。
ここは千畳敷郭の一段高くなっている場所で、野外活動センター側からであれば車でこの辺りまでこれそうです。 ただ、この辺りの空きスペースに車を停めて良いのかは不明です。
飯盛山送信所の先が千畳敷郭の一段下の部分になります。
今までの中で一番広い郭に思えます。
座れる場所があったので、ここで少し遅い昼食にします。 飯盛山の山頂付近には人がそれなりに居たのですが、ここには自分以外は誰もいません。 静かな場所で落ち着きます。
後はひたすら山を下って野崎観音を目指します。
野崎観音へは、こんな感じの山道を40分くらい歩く事になります。
印象としては、野崎観音側から登った方が楽そうに思えましたが、途中、案内板が微妙な所があったので、こちら側から登ったら間違って野外活動センターの方に出てしまったかも知れません。
野崎観音
正式な名称は「慈眼寺」のようです。 天平勝宝年間(749 ~ 757年)に行基によって創建されたようですが、現在の場所に移ったのは平安時代に入ってからのようです。
戦国時代は戦乱に巻き込まれて衰退していたようで、飯盛城が廃城になった後、江戸時代に入ってから再興されたようです。
山を登るのに必死で、城を見に行った感じがしませんでした...。
ひさびさにキツイ山城歩きでした...。
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