沖縄県 今帰仁城(1)2023年03月18日

日本 100名城巡りも最終段階に入りました。
ここまでの日本 100名城、続日本 100名城は主にバイクでの移動でしたが、沖縄はさすがにバイクで行くのが困難なので公共交通機関を使っての移動になります。
まずは飛行機で沖縄に入り、那覇空港の観光案内所で3日間使える沖縄路線バスの周遊パスを購入しました。 

那覇空港 バス乗り場
今回は北から南下して 100名城を巡る方法で走破します。
先ほどの周遊パスでは高速バスには乗れないのですが、ここは別料金が発生しますが時間節約を優先します。 2番乗り場から「やんばる急行バス」で「今帰仁城跡入口」まで移動します。
「やんばる急行バス」は予約が出来ないので少し心配したのですが、余裕で乗れました。
乗車時間は約2時間30分です。 これだけ長時間バスに乗ったのは久々です。
那覇空港・バス乗り場

バスから海が見えます。
「沖縄の海」って感じです。
何気に始めた、100名城巡り、ついにここまで来ました。
今帰仁城へのバスから

今帰仁城入り口のバス停に到着。 瓦屋根の沖縄っぽいバス停です。
ちなみに、美ら海水族館があるバス停で、私以外は全員バスを降りてしまいました。
ここまでバスに乗っていたのは私だけです。 バス停から今帰仁城までは約10分程度歩きます。
今帰仁城は世界遺産なのに人気が無いのかと思ったのですが、駐車場にはそれなりに車が止まってたので、どうやら、レンタカーで来る人がほとんどで、バスで来る人は少ないようです。
今帰仁城入り口バス停

今帰仁村グスク 交流センター
今帰仁城の入場券はここで購入します。 また、100名城のスタンプもここに置かれてます。
無事、沖縄1城目のスタンプが入手出来たので城内を見学する事にします。
しかし、沖縄は想像以上に温暖です。 まだ3月なのに、歩いてるとTシャツ1枚でも汗をかきます...。
今帰仁村グスク 交流センター

今帰仁ノロ殿内火の神の祠
多分、場所的には外郭の外側で、昔はノロ殿内(ノロの居住地)だったようです。
私は知らなかったのですが、「ノロ」と言うのは琉球神道の女性の祭司の事のようです。
今帰仁城内や城跡周辺の年中祭祀を司祭していたようで、現在は海岸に近い集落に移っているようです。 残されていたのは火の神を祀る祠だけでした。
今帰仁ノロ殿内火の神の祠

外郭
今帰仁城で一番大きな郭です。
石垣の積み方は野面積みのようで、波打ったような曲線が特徴的です。 これは本土の城の石垣では見た事が無い特徴です。
石垣の高さは 2m 程度で、今帰仁城の中では比較的低い石垣になります。
今帰仁城・外郭

今帰仁城・外郭の石垣

外郭の建物跡
発掘調査により、基壇と呼ばれる石積の遺構が発見されています。
基壇の上には建物があったと考えられていますが、礎石が失われている為に建物の規模は不明なようです。
役割は不明なようですが、外郭の城門を通って直ぐにある建物なので、それなりに重要な役割を持った建物だったとは思います。
今帰仁城・外郭の建物跡

古宇利殿内
2010年に外郭に移築された建物なので、今帰仁城の遺構では無さそうです。
古宇利島の方を向いており、古宇利島の人々が旧8月に遥拝しますが、今帰仁村今泊の神事の時には今帰仁ノロが拝みます。 古宇利は、沖縄の方言では「フイ」と呼ばれる頃から「フイ殿内」と呼ばれています。
本土の城跡でも神社を建てる事が多いので、沖縄でも近い物を感じます。
今帰仁城・古宇利殿内

今帰仁城の城壁には2億3千万年前の中生代の古い石灰岩が使用されています。
この石材にはアンモナイトの化石が含まれています。
今まで、墓石や石仏が石垣に使われていたケースはありましたが、アンモナイトが含まれている石材は初めてかも知れません。
今帰仁城・城壁の石材の化石

平郎門
門は 1900年代の初旬には崩落しており、現在の平郎門は 1961年に修復された物です。
今帰仁城は北山の山城でしたが、1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされると、中山が北部地域の管理用として使用されます。
1609年の薩摩軍による琉球侵攻によって今帰仁城は炎上して廃城となり、その後は拝所として参拝者が集まるようになります。
1713年に編集された「琉球国由来記」に「平郎門」の記載が登場し、1742年の「今帰仁旧城図」には「本門」として記載されています。 現存する資料は落城後の物なんですね...。
今帰仁城・平郎門

今帰仁城・平郎門

平郎門を通過した先は石畳の道が大庭へと一直線に続きます。
奥に大庭に入る階段が見えますが、1960年代に整備された階段なので当時の物ではありません。
階段の横には当時の通路が見つかっている事から、この道も当時の物では無いかも知れません。
この通路の左側には大隅、右側にはカーザフがあります。
今帰仁城

大隅(ウーシミ)
外郭の上段にある郭が大隅です。
兵馬を飼育して訓練した場所との伝承があります。 但し、本格的な調査は行われていない未発掘な郭です。
今帰仁城・大隅

外郭から見た大隅の石垣。
外郭と比べるとかなり高い石垣です。
曲線ではありますが、突き出している部分の役割は、五稜郭の先端部分と同じでしょう。
この曲線美を見るだけでも、ここに来た価値があったと思います。
今帰仁城・大隅の石垣

今帰仁城・大隅の石垣

カーザフ
「カー」は沖縄の方言で川や涌泉を意味するらしく、「ザフ」は迫(谷間)を意味するらしいです。
自然の崖のように見える場所と、石垣のように見える場所が混在しており、他の郭とは少し異質な場所です。周辺が石垣で囲まれていた場合、出入り自体がこんなな場所であり、用途が良く分からない不思議な場所です。
今帰仁城・カーザフ

旧道
階段と言うより、石敷の坂道のような通路です。 ここが当時の登城路でした。
実際に歩いてみましたが非常に歩き難く、攻め手が侵入し難いように道幅も狭くなっています。
この先が大庭です。
今帰仁城・旧道

今帰仁城・旧道