島根県 石見銀山・佐毘賣山神社 ― 2026年05月03日

佐毘賣山神社は、石見銀山龍源寺間歩の出口から石見銀山街道に戻る途中にある神社です。 御祭神は金山彦神で鉱山の守り神です。
1434年に室町幕府の命で周防国守護大内氏が島根県益田市から勧請したのが始まりと伝わります。 山神社の別名もあり、鉱夫や地元の人々には「山神」と呼ばれてました。
石見銀山を領有した大内氏、尼子氏、毛利氏などが崇拝し、江戸時代には石見銀山奉行だった大久保長安の庇護を受けます。

石見銀山龍源寺間歩の出口から少し歩くと山の上の方に佐毘賣山神社が見えて来ました。
石見銀山龍源寺間歩からだと、脇参道の入り口の方が先に見えて来るので、今回は脇参道から参拝する事にします。
後で知ったのですが、表参道は急な階段なので、脇参道からの方が楽かも知れません。
石見銀山・佐毘賣山神社

脇参道を進むと佐毘賣山神社の石垣が見えて来ます。
城郭の石垣と見間違えるくらい素晴らし石垣です。 特に、扇の勾配が素晴らしいです。
この石垣だけを見ても大切な神社だった事が分ります。
佐毘賣山神社の周辺は銀山開発に伴って開発された場所で階段状に整地されています。
脇参道の辺りは昆布山谷と呼ばれていた場所で、今はただの山林ですが昔は集落や寺院などもあったようでもっと発展していたようです。
石見銀山・佐毘賣山神社・脇参道

石見銀山・佐毘賣山神社・脇参道

拝殿
佐毘賣山神社の社殿は 1818年の火災で焼失しており、翌年に再建されています。
それ以外の再建の情報が見当たらなかったので、現在の建物は 1819年に再建された物だと思います。 ただ、その後に少し手が入ってるかも知れません。
石見銀山・佐毘賣山神社・拝殿

石見銀山・佐毘賣山神社・拝殿

石見銀山・佐毘賣山神社・拝殿

拝殿潜り抜け
多分、拝殿と幣殿のつなぎ目の下部分だと思います。
建物の下を通り抜ける事が出来ます。
中央部分に瓦と石が置かれており、石の上に賽銭が置かれてました。
御祭神の金山彦神は鉱山の守り神であり、毘賣山神社は鉱脈の上に建てられています。
ここは、少しで鉱脈の近くで参拝できるようにした場所のようです。
石見銀山・佐毘賣山神社・拝殿潜り抜け

石見銀山・佐毘賣山神社・拝殿潜り抜け

石見銀山・佐毘賣山神社・拝殿潜り抜け

多分、神楽殿だと思います。 拝殿の一段下の場所にありました。
1818年の火災の翌年に神楽殿も再建されたようで。
他に神楽殿らしい建物も無かったので、多分、この建物が火災の翌年に再建された神楽殿だと思います。
神楽殿としては、少し質素な感じがしますね...。
石見銀山・佐毘賣山神社・神楽殿

手水舎が亀の石像になってますね..。
口から水が出る仕組みのようです。
何で亀なんだろう?
この後、表参道の階段の写真を下から撮りたかったのですが、記念撮影をしている人が多くて諦めました...。
石見銀山・佐毘賣山神社・亀の石像

出土谷方面
脇参道がある昆布山谷から佐毘賣山神社を挟んで反対側にある谷が出土谷です。
こちらにも集落や寺院があったようです。
階段状の整備された様子が通り道からも良くわかります。
ちょっと雑草が多かったので奥の方には行きませんでした...。
石見銀山・佐毘賣山神社・出土谷

吉岡出雲の墓
次の目的地、清水谷製錬所跡に行く途中、吉岡出雲の墓がありました。
吉岡出雲は金銀鉱脈の発見や採掘技術の普及に貢献した人物です。
毛利家の金山附役人を経て、石見銀山奉行になった大久保長安に仕え、銀山運営を務めます。 石見銀山以外にも伊豆や佐渡でも活躍したようです。
肝心のお墓の方ですが、階段を登ってもどこがお墓なのか分かりませんでした...。
お墓はあったのですが、多分、吉岡出雲のお墓では無かったと思います。 もう少し、分かりやすく案内してもらえると助かるのですが...。
石見銀山・吉岡出雲の墓

では、清水谷製錬所跡に向かいましょう。