静岡県 人穴富士講遺跡2026年03月21日

人穴は古くら知られており、鎌倉時代の「吾妻鏡」にも記載があります。
「吾妻鏡」には、源頼家の命によって人穴の洞穴内を探検した事や、「浅間大菩薩の御在所」の記載などがあります。 人穴はこの頃から既に人々の信仰を集めていたようです。
江戸時代中期以降に庶民の間で富士講が流行りますが、富士講の開祖、長谷川角行の修行の場が人穴富士講遺跡です。
人穴には光侎寺があったと言われてますが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、その後、人穴浅間神社が置かれました。
1942年、陸軍少年洗車兵学校の演習地となり、住民も神社も他の場所に移転しますが、戦後、現在の場所に復興されました。 現在は世界遺産富士山の構成資産の一つです。

駐車場
駐車場がある県道 75号はバイクで何度も通った事がありますが、こんな綺麗な駐車場は無かったと思います。 県道から鳥居が見えていた記憶がありますが、もっと樹木が密集しており、足を止める事は無く、そのまま素通りしていました。
多分、世界遺産登録された事により、案内や駐車場などが整備されたのだと思います。
人穴富士講遺跡・駐車場

駐車場の近くにある鳥居です。 扁額には「富士人穴」と書かれています。
昔からこの付近に鳥居があった記憶がありますが、位置が同じなのかは不明です。
昔はこんなに見晴らしが良い場所では無かったはずです。
あと、ここに来る前に立ち寄った白糸の滝は観光客が大勢いましたが、同じ世界遺産でもここに見学に来る人はまばらです。
もっとも、白糸の滝は世界遺産登録する前から人気の観光スポットでしたが..。
人穴富士講遺跡・鳥居

人穴浄土門の碑
この石碑は光侎寺の入り口にありました。
もっとも、現在の石碑の位置は当時と変わってる可能性があります。
表側には「人穴浄土門」の文字があるので、光侎寺の入り口には門があったのでしょう。
また、人穴の由来に関する事が書かれています。
人穴浄土門の碑

こちらは背面側。
人穴を開山した長谷川角行の200周忌に辺り、1835年に沙門空胎が光侎寺を再興した事が書かれています。 なお、長谷川角行は人穴で入滅しています。
人穴浄土門の碑

参道入り口の鳥居
江戸時代後期には参道入り口に鳥居が建立されたと推定されており、発掘調査でも鳥居の柱穴がみつかっています。
1783年に富士講信徒によって鳥居が修復された記録があります。
明治時代には鳥居は失われていたようですが、2021年に日本建築専門学校(現在は日本建築藝術大學校)の学生によって作成され再建されました。
人穴富士講遺跡・鳥居

鳥居の先の参道を進んだ先に人穴浅間神社があります。
神社の周辺には墓石や供養塔が安置されており、どう見ても神社と言うよりは寺院ですね..。
まぁ、廃仏毀釈で廃寺にした後に建てた神社なので、寺院跡にしか見えないのは当然かも知れませんが...。
人穴富士講遺跡・参道

人穴富士講遺跡・人穴浅間神社

人穴浅間神社
1942年に人穴浅間神社は上井出の芝山にうつされますが、1954年に元の場所に再興されますが、別の建物として再興されました。 当時の社殿は現在でも芝山浅間神社として残されています。 現在の建物は 2001年に建てらた新しい物です。
人穴富士講遺跡・人穴浅間神社

人穴富士講遺跡・人穴浅間神社

人穴
11000 ~ 8000年前の頃に富士山が噴火した時の溶岩流で形成された洞穴です。
長谷川角行はここで修行して入滅した事から富士講の信者から霊地として信仰を集めます。
個人で内部を見学する事は出来ませんが、事前に申し込めばガイド同伴で内部を見学する事も可能なようです。 ただ、電話でしか申し込みが出来ない事や、人数も制限されているのが難点です。 内部には碑塔 3基、石仏 4基があり、洞穴は総延長 83.3m あります。
人穴富士講遺跡・人穴

碑塔群
人穴浅間神社の境内には富士講関係者が建立した碑塔が 230基ほど残されています。
18世紀中頃から富士講が流行し、18世紀末以降、さかんに建立されるようになります。
光侎寺は修行者や参詣者の世話をする場所だったようで、赤池家が管理していたようです。
明治の神仏分離令以降、民間信仰だった富士講は活動が制限され衰退していきます。
碑塔の建立は 1964年以降は行われていません。
人穴富士講遺跡・碑塔群

人穴富士講遺跡・碑塔群

人穴富士講遺跡・碑塔群

人穴富士講遺跡・碑塔群

富士講の信者は富士山登山を終えると、富士講の聖地である人穴に訪れたようです。
多分、この風景は、当時の人が見た物とそれほど変わって無いのかも知れませんね..。
次は予約して人穴内部を見学したいと思います。
人穴富士講遺跡・富士山