埼玉県 忍城2018年06月03日

忍城は埼玉県行田市にある続100名城の一つです。
正確な築城年代は不明なようですが、1479年頃までには成田氏によって築城、もしくは改築が行われていたようです。
1590年、豊臣秀吉の小田原征伐によって忍城も攻撃を受けます。 石田三成らの軍勢によって水攻めを受けますが、小田原城が開城するまで持ちこたえました。 この戦いは映画にもなっているので広く知られています。
同年、徳川家康が江戸城に入ると松平家忠によって忍城の修復が行われます。
忍城は幕末まで存続しますが、明治6年廃城令によって建物は売却されました。

続100名城のスタンプはここ、行田市郷土博物館にあります。 バイクは博物館の駐輪場に駐車しました。 この博物館では忍城に限らず、行田の歴史が詳しく展示されています。
ちなみに、この博物館は忍城の本丸があった場所に建てられています。
行田市郷土博物館

行田市郷土博物館の一角に鐘楼があります。
さすがに当時の物では無く、鐘も 1992年に鋳造された物です。
当時の忍城にも鐘楼が存在しており、城下に時を伝えていました。 初代の鐘は火災で焼失したようですが、1823年に松平氏が忍に移封された時に移された鐘は現存しており、博物館の館内で展示されています。
行田市郷土博物館・鐘楼

周辺には狭間が付いた塀がありますが、当然、当時の物では無いです。
忍城は周辺の水堀や沼もほとんど埋め立てられてしまい建物も残ってません。 博物館の周辺を城のように整備しているようです。
行田市郷土博物館

東門
なかなか良く出来てますが、これも復興された門のようです。
当時の地図を見ても、この辺りには門は無かったと思われます。
行田市郷土博物館・東門

行田市郷土博物館・東門

御三階櫓
1988年に復興された御三階櫓で、本来は三之丸にあったようなので、場所的にはだいぶ異なります。 多分、橋も当時はこの位置には無かったと思いますが、古地図をみると、この辺りは当時も水堀ではあったようです。
忍城・御三階櫓

忍城・御三階櫓

伝進修館表門
旧芳川家表門を移築した物で、藩校「進修館」の表門だったと伝わる門です。
一度移築されている事から、本当に藩校の表門だったのかは確定していないようです。
墨書銘から 1832年に建立された事が判明しています。
忍城・伝進修館表門

本丸の土塁
忍城の数少ない遺構の一つです。
本丸は二ノ丸、土蔵曲輪と橋で繋がってました。 なので、今歩いている通路は昔は水堀だったと思います。 こうして見ると、忍城の当時の遺構は本当に少ないです...。
忍城・土塁

忍城・土塁

石垣の石
当時の石垣も残っておらず、石垣に使用されていた石が数えられる程度に残っているくらいです。 これらの石は櫓台として使用されていたようです。 櫓は明治の廃城令で取り壊されたので、石垣もその頃に壊されたのかも知れません。 綺麗に加工されている石なので、江戸に入ってから築かれた石垣だと思います。
忍城・石垣の石

「あずま橋」から本丸を出ると、その先に「浮き城の径」と言う、ちょっと雰囲気の良い遊歩道があります。 一応、当時もこの辺りは曲輪があったようですが、この先は沼を利用した堀だったので、冠木門は実在しなかったと思います。
当時の忍城周辺はほとんどが沼や湿地でしたが、ほとんどが埋め立てられてしまい、当時の面影は残ってません。
忍城・浮き城の径

忍城・浮き城の径

水城公園
行田市郷土博物館を出発し、水城公園に向かいます。
かなり大きな池に見えますが、当時はこれよりも遥かに広い場所が堀や沼地でした。
「水場は、ここしか残っていない」と言った表現の方が正しいのかも知れません。
水城公園

水城公園

映画「のぼうの城」でも有名な場所ですが、当時を偲ばせる物はほとんど残って無かったですね...。