鹿児島県 知覧城 ― 2018年05月01日
鹿児島県南九州市にある続日本100名城の一つです。
正確な築城年代は不明ですが、1353年に島津忠宗の三男、佐多忠光の領地として与えられています。 1591年、佐多氏は海賊禁止令に反した事から島津義弘によって左遷されますが、1610年に地頭として復帰します。 1677年には島津姓を名乗り、島津氏統治のまま幕末を迎えます。
先に知覧城の散策をしてからスタンプを押しに行く事にします。
ちょうど google map にプロットされる辺りに知覧城の駐車場があるのでそこに駐車します。
広さは十分で、ほぼ貸し切り状態です。
道路からこの散策路を通って知覧城の散策を開始します。
案内の地図を見るとこの辺りは空堀の底のようですが、居住区でもあったのかと思う位の広さがあります。
防空壕
知覧城にはいくつか防空壕として使用された穴が開いてます。
この辺りには太平洋戦争中、特攻隊の基地があったので、知覧城もその影響を受けているようです。 でも、この穴の中で爆撃に耐えるのは、そうとうな忍耐が必要ですね...。
今城と本丸を隔てる堀です。 両側が壁のようになっています。
実際の堀底はここよりも 7m も下だった事が発掘調査により判明しています。
シラス台地の浸食谷を堀として利用しているようですが、あまりにも底が深すぎるので人の手が入っていると思います。
まずは今城から。
この細い登り路から今城に向かいます。 雨が降ったらぬかるみそうな地質です。
曲輪への入り口には虎口の跡がはっきりと残ってます。
シラス台地なので、浸食で失われそうですが保存状態は良さそうです。
地図を見た感じでは今城が一番大きな曲輪に思えます。
建物の遺構跡とかは分かりませんでしたが、シイタケの栽培でしょうか? 積み重ねた木が点在してました。
続いて弓場城に向かいます。
今城を一度降りてから、もう一度登り直すのはかなり面倒です...。
こちらも出入り口付近に虎口の跡らしき痕跡が見えます。
広さ的には今城の半分以下だと思いますが、それでも結構広いです。
名前が「弓場」なので、それに関連する施設でもあったのでしょうか?
弓場城を下って本丸方面に向かいます。
ここは、本丸方面の入り口に配置されている桝形虎口です。
保存状態は非常に良さそうです。 敵はここを突破しないと本丸や蔵之城に入る事が出来ません。 この虎口の先は、本丸と蔵之城の間にある曲輪に出ます。
残念ながら蔵之城への入り口は立ち入り禁止でした。
雨水による浸食で、登城路が陥没する恐れがあるとの事。
蔵之城は 2001~2004年にかけて発掘調査が行われており、建物跡や中国、タイなどの青磁、白磁なども出土しているようです。 海外との交流も盛んだったのかも知れませんね...。
本丸への最後の坂を登ります。
本丸の出入り口付近は虎口の跡があります。 上から見ると、結構な高さがありますね..。
広々とした本丸に到着。
本丸は綺麗に草木が伐採されており、他の曲輪よりも手入れされているようです。
本丸周辺は土塁で囲まれているようです。
堀底からの落差もかなりあるので、登城路以外で攻め上がるのは困難に思えますね...。
これだけの広さなので、何等かの建物などが存在していたと思いますが、特に説明等がある訳では無いので詳細は不明です。
本丸には大きな穴が開いてました。 井戸でしょうか?
知覧城の保存状態は良好でした。 なかなかの城跡でした。
ただ、保存整備された蔵之城に入れなかったのは残念でした。 整備しても、シラス台地は雨天の影響を受けやすいのかも知れません。
そろそろ下山して、ミュージアム知覧で続100名城のスタンプを押す事にします。
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