東京都 豪徳寺 ― 2021年02月07日
豪徳寺の前身は世田谷城主吉良政忠が伯母の菩提を弔う為に1480年に建立した「弘徳院」です。
この地は 1633年に彦根藩の所領となり、弘徳院は井伊家の江戸菩提寺となります。 1659年には現在の「豪徳寺」に改名されます。
二代藩主井伊直孝が住職の飼い猫に招かれ落雷を逃れたとの伝承があり、豪徳寺は何か所かある「招き猫発祥の地」の一つとして知られています。
山門
関東大震災後の昭和初期に再建された山門のようです。
扁額には「碧雲関(へきうんかん)」と書かれているようです。 まったく読めませんが...。
山門を通り、正面の仏殿に進むと立派な香炉が見えてきます。
中央の金色の家紋は井伊家の物らしいです。
仏殿
豪徳寺は寛文年間(1661 ~ 1673年)から延宝年間(1673 ~ 1681年)にかけて伽藍整備がされたようで、仏殿は 1677年に建立されました。
変額には「弎世佛」と書かれています。 「弎世佛」は、現在・過去・未来の三世を意味するらしく、それを表す釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒菩薩坐像が安置されています。
仏像は、江戸時代の代表的な仏師である祥雲の作です。
三重塔
2006年に落慶された三重塔で、割と最近の建物のようです。
仏舎利の他に、釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されています。
「招福猫児(まねぎねこ)観音像」って初めて聞いたけど、どんな仏像なんだろう...。
鐘楼
梵鐘は 1679年に江戸で著名な鋳物師だった藤原正次によって鋳造されました。 世田谷区内では現存する最古の梵鐘のようで、工芸的にも評価されているようです。
鐘楼に関しては特に説明が無かったので、再建された物なのかも知れません。
地蔵堂
2019年落慶の見るからに新しい御堂です。
内部も公開されていて、地蔵菩薩を見る事ができます。
東門
閉門されているので通る事はできません。
特に説明も無かったので、それほど古い物では無いのかも知れません。
この付近の梅が綺麗に咲いていたのが印象的で、まだまだ寒い季節だと思っていたら梅が咲くそんな季節になっていました。
豪徳寺と言えば招き猫。
右手を上げている招き猫は「金運」を招き、左手をあがているのは「人」を招くと言われてます。
豪徳寺の招き猫は右手を上げてるので「金運」のようですが「小判」を持ってません。 小判を持って無いのは、きっかけは作るが財を成す(結果を出す)のは本人次第との意味があるようです。
そう考えると、招き猫の顔が凛々しく見えますね...。
彦根藩主井伊家の墓所手前に並ぶ6体のお地蔵様。
どれも顔がはっきりと彫られていないようです。
この大きさで顔が無いお地蔵様は、少し怖い印象を受けます。
井伊家墓所の梅が綺麗に咲いてました。 今年は梅の開花が早いのかも知れません。
井伊直政は15歳で徳川家康に仕えると、関ヶ原の戦いで功績をあげて初代彦根藩主となります。
その後、井伊家は代々、徳川家を支えます。
ここには、そんな井伊家の多くの藩主、正室、子息の墓があります。 安政の大獄で知られている直弼の墓もここにあります。
奉納所
残念ながら招福殿は改修工事中で見る事はできませんでした。
でも、奉納所は拝観可能で、大量の招き猫は圧巻ですね...。
本堂(法堂)
1967年に再建された物のようで、木造では無く鉄筋コンクリート製のようです。
観音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩坐像、地蔵菩薩立像が安置されています。
また、井伊直弼の肖像画などもあるそうです。
納骨堂
参道
拝観を終えて山門から外に出ます。
今回は豪徳寺駅から徒歩で移動したので、直接、山門から豪徳寺に入りました。
山門の前には参道が続いており、その先には総門があるので総門を見てから帰る事にします。
総門
狛犬が乗った石造りの門です。 奥の方に山門の屋根が見えます。
どことなく、豪邸の出入り口のような感じで、お寺の総門っぽくは感じません。
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