東京都 池上本門寺、大坊本行寺2021年09月20日

日蓮聖人は 1282年に病気療養の為に身延山から常陸に向けて旅立ちます。 現代人の感覚からすると療養が必要な人間が山梨から茨城に旅する事自体に無理を感じますが、旅の途中に池上氏の館で亡くなります。 池上宗仲は日蓮を供養する為に寺領を寄進し、「池上本門寺」と呼ばれるようになったのが始まりのようです。 それ以降、鎌倉武士や徳川家、加藤清正などの庇護を受け大きく発展します。 現在でも東京の寺院とは思えない規模を誇ります。

訪問当日は西馬込駅から徒歩で移動したのですが、Google Map のルート案内に従うと、裏手の墓地の方に誘導されてしまい、どこを進めば良いのか判らず戸惑いました。

歴代墓所
とりあえず墓地を奥に進むと立派な墓所が見えてきました。
ここは、第4世日山聖人以後の歴代貫首の墓所になります。
本来、墓所の中を歩くような事はしないのですが、お墓詣りの人の邪魔にならないように早々に移動する事にします。
大坊本行寺・歴代墓所

御硯井戸
墓地を抜ける事ができて、少しホッとします。
正確には、ここは大坊本行寺(長崇山本行寺)のようで、池上宗仲が寄進した寺院はこちらのようです。 まぁ、ここも含めて池上本門寺と言っても良いのかも知れませんが...。
身延山から着た日蓮が使ったとされる井戸。 日蓮が掘った訳では無さそうだが、聖水として祀られています。  現在では地下水汚染の問題もあり、飲料水としては使用できないようです。
大坊本行寺・御硯井戸

毘沙門堂
御硯井戸の隣にある御堂で、毘沙門天が祀られています。
ただ、由緒など細かい説明が無いので、戦後に再建された物なのか詳細は不明です。
大坊本行寺・毘沙門堂

瘡守稲荷(かさもりいなり)
病気除けの御利益があるとされる、変わった名前のお稲荷様です。
江戸中期に目黒区碑文谷に祀られていましたが、1982年に現在の場所に移されました。
「正一位」が気になって調べてみたのですが、神様にも階級があるようで「正一位」はその中でも最高位の階級のようです。 正式に「正一位」として認められた稲荷神社は「伏見稲荷大社」だけのようですが、後鳥羽天皇の軽い一言で伏見稲荷から分社した全国の稲荷神社が「正一位」を使うようになり、現在では稲荷神社の別名のようになってしまったようです。
大坊本行寺・瘡守稲荷

大坊本行寺、本堂
池上氏館内にあった持仏堂を法華堂として寄進したのが始まりのようなので、大坊本行寺の辺りが池上氏の邸宅があった付近のようです。
この本堂がいつ頃からあるのかは分りませんが、現在の建物は 1981年に改装された物のようです。 本尊は一塔両尊四士。
大坊本行寺・本堂

一度、大坊本行寺を出て、一般道を通って池上本門寺の総門に出ます。
じつは、大坊本行寺を池上本門寺と勘違いして帰ろうとしていた所、地図を見て別の入り口がある事に気が付きました。 どうやら、西馬込駅から池上本門寺の総門に行くには少し遠回りのようです。

総門
どうにか総門に到着。 大きな寺院の割には小さく感じる総門です。
総門は、池上本門寺では数少ない戦災を逃れた建物のようで、元禄年間(1688 ~ 1704年)に建立されたと推定されます。 「本門寺」の扁額は 1627年に本阿弥光悦によって書かれた物です。
池上本門寺・総門

此経難事坂
加藤清正が寄進したと伝わる石段で、「法華経」宝塔品の此経難持の偈文96字にちなむ96段で作られています。 元禄年間(1688 ~ 1704年)に改修されているようです。 その為なのか、石段にはパッチワークのような継ぎ接ぎが目立ちます。 でも、それだけ大切に使われている石段のようです。
池上本門寺・此経難事坂

池上本門寺・此経難事坂

長栄堂
此経難事坂を登ると右側にあるのが長栄堂です。
鳥居があるので神社のようで、長栄大威徳天が祀らています。 大黒天と書かれてますが、稲荷神社のようですね...。 戦災で焼失したようで、現在の建物は 1959年に再建された物です。
池上本門寺・長栄堂

仁王門
凄く立派な三門(仁王門)です。 こちらも戦災で焼失しており、現在の建物は 1977年に再建された鉄筋コンクリート製です。
ちなみに先代の三門は五重塔と同時期に徳川秀忠が建立した物でした。
池上本門寺・仁王門

鐘楼堂と梵鐘
鐘楼堂も戦災で焼失しているようで、現在の建物はその後に再建された物だと思います。 見た感じ、鉄筋コンクリート製でしょうか?
その隣に古い梵鐘が置かれており、こちらは 1647年に加藤清正の娘で紀州藩祖徳川頼宣公の正室だった瑤林院が寄進した物です。 戦災による火災でヒビが入ってしまい、現在は使う事が出来ない為、鐘楼堂の横に安置しているようです。
池上本門寺・鐘楼

池上本門寺・梵鐘

日樹聖人の五輪塔
鐘楼堂の裏にあった戦災による損傷の激しい五輪塔です。 空襲の激しさが見て取れます。
五輪塔の花押から、日樹聖人が建てた物と推定されています。 不受不施派(法華経を信仰しない者から布施を受けない宗派)だった日樹聖人は、受布施派との対立で敗れた事により、1630年に信州に流罪になります。 この五輪塔はその前に建てられたと思われます。
思想の違いで流罪になるとは、当時のお坊さんも大変ですね...。
池上本門寺・日樹聖人の五輪塔

経蔵
経蔵は何度か再建されているようで、現在の経蔵は 1784年に再建された物です。
戦後に現在の場所に移築されたようなので、戦争時は別の場所にあって運よく戦災を逃れたようです。 内部には八角形の輪蔵があります。 昔は輪蔵の中に一切経が収められていました。
池上本門寺・経蔵

大堂(祖師堂)
先代の大堂は空襲で焼けてしまい、現在の大堂は 1964年に再建された鉄筋コンクリート製の建物です。 本尊は日蓮聖人像です。
この建物の奥に本殿があったのですが、境内の位置関係を完全に勘違いしていました。 この奥は先ほど訪問した大坊本行寺だと思い込んでいた為に引き返してしまいました...。
池上本門寺・大堂

池上本門寺・大堂

池上本門寺・大堂

五重塔
関東にある五重塔の中では一番古いようで、1608年に徳川秀忠の病気平癒祈願のお礼として建立されました。 これだけ大きな建物が空襲で焼けなかったのが不思議です。
1614年には地震で傾いてしまい、1701年に現在の場所に移築して修復したようです。
東京とは思えない風景です。
池上本門寺・五重塔

数年前までは、大きな寺院に行くと外国人旅行者を多く見たのですが、コロナの影響でまったく見なくなりました。 ワクチン接種が進み、少しでも以前の賑わいが戻れば良いのですが...。