長野県 旧国鉄篠ノ井線廃線跡 ― 2025年07月19日
篠ノ井線は長野の塩尻駅と篠ノ井駅を結ぶ JR東日本の路線です。
歴史は古く、1902年(明治 35年)に全線開通します。
1970年(昭和 45年)に蒸気機関車からディーゼル機関車への置き換えが完了し、1973年(昭和48年)には全線が電化されます。
1974年(昭和 49年)から西条~明科間の複線化工事が始まり、1988年(昭和 63年)に完成すると潮沢川寄りの旧線は廃止されます。
その廃線跡が旧国鉄篠ノ井線廃線敷遊歩道として整備されています。
漆久保トンネル駐車場
今回は他にも行く場所があるので漆久保トンネル近くの駐車場にバイクを停めてその周辺を散策する事にしました。
潮神明宮付近にも駐車場があり、そこから潮沢信号場跡までトレッキングする人もいるようです。 ただ、国道 403号にバスが通っていれば良いのですが、多分、往復する事になると思うので、遊歩道を完走するのは大変そうです。
ちなみに、駐車場には「熊注意」の看板があました。 そんなに山奥では無いのですが、最近はちょっとした遊歩道を歩く場合も熊鈴が必須になってますね...。 熊の数が増えすぎているような気がしますね..。
駐車場の近くにあった遮断機です。
国道 403号から駐車場に向かって脇道に入ると踏切が見えたので「え?」っと思いましたが、これは廃線前に使われていた遮断機でした。
今でも列車が通りそうな感じがする不思議な風景です。
旧線が廃止されたのが 1988年(昭和 63年)なので、それほど古い遮断機には見えません。
遮断機のような保安部品は定期的に切り替わるので、割と新しく感じるのかも知れません。
先に漆久保トンネル側を見学します。
レールや枕木は撤去されてますが、昔し線路だった事が分る遊歩道です。
遊歩道の道幅が車両一台分の幅くらいなので、単線だった事も見て分かります。
遊歩道の脇を見ると距離標が残されています。
これを見ると、ここが間違いなく線路だった事が分ります。
小沢川橋梁
漆久保トンネルの手前で遊歩道から下に降りると小沢川橋梁が見えます。
雑草も多く、この写真では分かりにくいのですが、煉瓦の積み方が独特です。
積み方自体はイギリス積なのですが、小口面が少し斜めになっており、表面が鱗のようにデコボコしています。 この積み方は他では見た事が無いのですが、このような積み方をする何か特別な理由があったのでしょうか?
漆久保トンネル
1897年(明治 30年)に開通したトンネルで長さは 53m あります。
開通当時から補修工事が行われていないので開通当時の姿を残しているようです。
煉瓦の積み方はイギリス積のようです。
トンネルのカーブが美しく、U字型と言うよりも蹄鉄のような形状をしており、トンネルの下の方が少し狭まっています。
この中を蒸気機関車が走り、人や物資を運んでいました。
漆久保トンネルから駐車場のあった踏切方面に引き返し、明科駅方面に遊歩道を進みます。
こちら側も線路は残ってませんが、昔、線路だった事を感じさせる遊歩道です。
ちょっと見ずらいですが、「工 通信ケーブル」でしょうか?
旧篠ノ井線は電化が完了していたので、通信ケーブルが通っている場所を示していたのでしょう。 周辺を良く見ると、鉄道だった頃の痕跡が沢山残っています。
ポイント切替装置が展示されてました。
線路の切り替えを行う「電気転てつ機」と呼ばれる装置で、良く見ると、「マグネット クラッチ」、「SMC-E30」、「京三製作所」と記載されたプレートが取り付けてありました。
京三製作所は 1917年(大正 6年)に設立された古くからある企業で、今でも鉄道信号システムなどを製造しています。
遊歩道脇には電柱や信号機が数多く残されてます。
廃線になった時に撤去しなかったのですね...。
ここだけ時間が止まっているような雰囲気です。
旧篠ノ井線の西条~明科間は、地滑りが多くて運用は大変だったようです。
1924年(大正 13年)には地滑りで脱線事故が発生しており、復旧工事は大変だったようです。
案内板の写真を見ると、かなり大きな事故だったようですが、その時の事故に関する情報は見つかりませんでした..。
けやきの森自然公園付近の踏切後が見えてきました。
今回はここで引き返す事にします。
廃線跡の散策の良いですね。
このような場所は他にもあると思うので探してみたいと思います。




















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