千葉県 館山海軍航空隊赤山地下壕跡2025年05月04日

千葉県館山市の館山海軍航空隊赤山地下壕跡は 1930年に海軍 5番目の航空隊として設立されました。 赤山地下壕は館山海軍航空隊の関連施設ですが、資料が乏しく、正確な建設年代は分かってません。 このような大規模な地下壕が 1941年の太平洋戦争前に建設れた前例は無く、その事から赤山地下壕が建設されたのは 1942年よりも後になります。
また、証言などから、終戦が迫った 1944年より後に建設されたと考えられています。

駐車場
乗用車 20台程度が停められる広さがあります。
少し離れた場所い、市営プールの先にも大型車も停められる駐車場があります。
思ったよりも見学者が多かったですが、駐車スペース的には十分だと思います。
駐車場の奥にある建物で受付を行い、ヘルメットと懐中電灯を借りて地下壕を見学します。
赤山地下壕跡・駐車場

自力発電所跡
地下壕入り口一帯にはモルタルが吹き付けられていましたが現在は除去されています。
航空隊正門前にあった変電所を 1945年に赤山地下壕へ移設し、この辺りに自力発電所がありました。 4気筒 200馬力ディーゼルエンジンが 2台、発電機 2台、変圧器 9個があったようです。 具体的にどの辺りに機材が設置されていたのかは不明ですが、設置機材の量を考えると、多分、この辺り一帯が自力発電所だったのだと思います。
この付近には、機材を設置したような窪みや、土台のような物があります。
赤山地下壕跡・自力発電所跡

赤山地下壕跡・自力発電所跡

赤山地下壕跡・自力発電所跡

自力発電所跡の突き当たりを左に曲がった所。
右側に土台のような物があります。 多分、発電所の機材を設置していた跡だと思うので、こっちの方まで自力発電所だったのだと思います。
現在は見学者用の照明がありますが、当時はもっと薄暗かったのかも知れません。
赤山地下壕跡

発電所員の待機所
通路の左側が窪んでいます。
深く窪んだ所が発電所員の待機所で、浅く窪んでる場所が発電所員の 2段ベッドが場所です。  発電所には 10人くらいが交代で勤務していたようです。
ここだと、発電機の騒音が気になると思うのですが、こんな場所で寝れたのでしょうか...。
戦争末期、館山海軍航空隊基地も空襲被害が発生します。 多分、この地下壕で空襲をやり過ごしたのだと思いますが、暗く狭い地下で爆撃に耐えるのは怖かったと思います。
赤山地下壕跡・発電所員の待機所

自力発電所跡から奥に伸びる通路はかなり狭いです。
赤山地下壕はあまり計画的に作られて無いと言われています。
ここだけ極端に狭いのは、もしかしたら、自力発電所の地下壕を別に作り、後から他の地下壕とこの通路で繋げたのかも知れません。
赤山地下壕跡

広い通路に出ました。
赤山地下壕の全長は 1.6km あり、見学出来るのはその一部です。
この付近の左側にある壕は全て閉鎖されていて入れません。
大規模地下壕の壕と壕の間は一般的に 10 ~ 20m 以上ありますが、赤山地下壕は 5 ~ 10m 程度しかありません。
見学ルートは突き当たりを右に行きます。
赤山地下壕跡

右側に縦長と横長の窪みがあります。
縦長の窪みは電話番が腰を掛けて勤務していた場所のようです。
手前の横長の窪みにも何か機材が置かれてたのかも知れません。 ここからは見えませんが、奥にはトイレとして使っていた窪みもあります。
赤山地下壕跡

この辺りの壕は見学可能です。
ただ、照明が無いので懐中電灯で照らしながら見学する事になります。
凄かったのがこの地層で、芸術的でもあります。
房総半島南部の丘陵は 2400万年前より新しい地層のようで、泥岩や砂岩などの柔らかい地層が折り重なっているようです。
もっとも、戦争中はこの地層の美しさを楽しむ事は無かったと思いますが..。
赤山地下壕跡

赤山地下壕跡

赤山地下壕跡

太平洋戦争末期に作られた赤山地下壕の図面には、「工作科格納庫」、「応急治療所」、「自立発電所」などの記載があるようです。 航空隊の整備部品などがあったのでしょうか?
この薄暗い場所に、いったいどれくらいの人がいたのでしょうか...。
赤山地下壕跡

赤山地下壕跡

赤山地下壕跡

応急治療所があったとされる場所を少し進んだ場所にあった壕です。
ここの地層は特に美しい...。
赤山地下壕跡

これは、戦後に設置された風呂です。
赤山地下壕は戦後しばらく放置されますが、その後、キノコ栽培に利用されます。
たしかに、地下壕はキノコの栽培に向いてるかも知れません。
この風呂は、その頃に設置された物です。 他、ボイラーなども設置されていたようです。
しかし、別に、ここに風呂を設置しなくても良いような気が..。 風呂なら家に帰ってからでも良さそうに思え、作業中はここに寝泊りしてたのでしょうか..。
赤山地下壕跡・戦後の風呂

ガンルームと呼ばれていた部屋のようです。
尉官、佐官クラスの士官が使用していたようで、奥の四角い窪みには御真影(天皇の肖像写真)を安置していました。
この辺りが見学可能な最深部になります。
赤山地下壕跡・ガンルーム

一番奥まで来たので、壕を見学しながら入り口に戻ります。
赤山地下壕跡

赤山地下壕跡

掩体壕
赤山地下壕跡の近くに掩体壕跡もあるのでそちらも見学する事にしました。
ただ、駐車場が無いので赤山地下壕から歩いて見学する事にしました。
掩体壕とは、戦闘機を守る為の格納庫の事です。 赤山周辺には 10基ほどあったようですが、現存するのはこの 1基だけです。
結構、滑走路から離れているように思えますが、この辺りまで航空隊の基地だったのでしょうか?
掩体壕

地下壕も良かったのですが、地層の素晴らしさが想定外でした。
ここの地層は一度は見て欲しいです。


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