千葉県 大房岬要塞跡 ― 2025年05月04日
千葉県の大房岬は、先ほど訪問した沖ノ島から見て館山湾を挟んだ対岸にある岬です。
大房岬は東京湾の入り口に当たる場所で、江戸時代末期に黒船が来航すると幕府により防衛拠点が築かれました。
1928年(昭和 3年)になると陸軍は東京湾の防衛拠点として 4年をかけて大房岬を再度要塞化し、この防衛拠点は終戦まで使用されました。
大房岬は現在、大房岬自然公園となっており、公園の中に今でも要塞跡が残されています。
大房岬自然公園 駐車場
公園には大きな駐車場がありますが、訪問者が多いので駐車場は混雑してました。
広い駐車場なので停められないと言う事は無いと思いますが、空いてる場所を探すのに苦労するかも知れません。
海岸園地付近の海岸
事前学習無しにの見学なので訪問時は知らなかったのですが、この辺りに人間魚雷「回天」の特攻基地があったようです。 また、奥の崖は山岡部隊が訓練に使用していたようです。
海中には 「回天」を発射する為のレールが今でも残っているようです。 崖には「回天」を格納する為の横穴が掘られているようなので、次に行った時には見学したいと思います。 特攻基地は本土決戦用に終戦間際に作れられたようなので、実際にここから「回天」が出撃する事は無かったと思います。
第二照明所(探照灯)跡
東京湾に敵が侵入する事を防ぐ為、大房岬には探照灯が2ヶ所設置されました。 ここはその中の一つです。 この先に第二照明所と探照灯があります。
第二照明所は防空用に使用されていたようです。
ここが第二照明所跡です。
多分、このコンクリート製の建物は探照灯に関連する設備だと思います。
特に説明は無かったので詳細は不明ですが、探照灯を管理する人の待機所のような場所だったのかも知れません。
第二照明所の正面に第二探照灯へのトンネルがあります。
第二照明所の建物はコンクリート製ですが爆弾が直撃すれば破壊されそうな感じでしたが、トンネルの方はコンクリート壁も分厚く、かなり重厚な作りになっています。
照明の方が場所が特定されやすいので、探照灯の方が重厚な作りなのかも知れません。
トンネルの先にあるのが第二探照灯跡です。
ここに当時日本で最大級だった直径 2m の探照灯が設置されていました。
普段は地下に収納してあり、使用する時にエレベータで持ち上げていたようです。
ちょうど天井が吹き抜けになっている場所があるので、そこに探照灯が設置されていたのだと思います。 探照灯は 9km 先まで照らす事が出来たようです。
ここから空襲に来た B29 を照らしていたのでしょうか..。
戦争遺産とは無関係ですが、せっかくなので弁財天の洞窟も見学する事にします。
洞窟は第二展望台の近くにあるのですが、崖下まで降りる必要があります。
弁財天の洞窟
洞窟に到着したのは良いのですが思ったよりも急斜面でした..。
降りた後、登って来るのが大変そうなので上から祠を眺める事にしました..。
1300年前、この辺りを荒らしていた海賊を役行者(役小角)が捕らえてこの洞窟に閉じ込めたとの言い伝えがあります。 海賊は慈覚大師(円仁)に助けられ、金の龍になって天に登ったとか..。 龍が関係している逸話なので弁財天が祀られたのでしょう。
洞窟の深さは分かって無いようです。
砲台跡
展望塔の方に行くと砲台跡があります。
ワシントン軍縮会議で廃艦となった艦船の砲塔が2門、大房岬に設置されました。
ただ、空襲と主体とした攻撃だった為、ほとんど役には立たなかったようです。
この花壇がその内の一つのようですが、もう一門は分かりませんでした。
近くに弾薬庫跡や発電所跡もあったようですが、どこだか分かりませんでした。 どうやら、弾薬庫跡はスルーした展望塔の近くにあったようです...。
事前調査無しで訪問したので、かなりの見落としがあった事が後から分かりました。
今回見れなかった場所を見学する為、もう一度訪問したいです。
もう少し案内が充実すると良いのですが..。
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