石川県 金沢城(3)2017年05月04日

前回、時間切れだったので、続きを翌日訪問....。 2日連続の金沢城です。
中に入る事が出来なかった建物を中心に....。

極楽橋
本丸と二之丸を繋ぐ橋で、極楽橋と呼ばれるようになったのは江戸時代からのようで、橋の名前のは金沢御堂に由来するようです。
金沢御堂は、1546年に大阪本願寺の別院として建てられた寺院で、尾山御坊とも呼ばれていたようです。 寺院と言っても堀や柵を供えた城に近い代物で、加賀一向一揆の拠点として使われていました。 金沢城は、この金沢御堂を落とした後に築かれました。
金沢城・極楽橋

二之丸と本丸の間にある堀。 かなり深いです。
金沢城・極楽橋の堀

三十間長屋
1759年に火災で焼失し、現在の建物は 1858年に再建された物です。
金沢城は、明治の火災でほとんどの建物を焼失しているので、貴重な現存建築物の一つです。 普通に考えたらすごく長い建物なんですが、五十間長屋を見た後だと、普通に見えちゃいますね...。
金沢城・三十間長屋

三十間長屋の石垣です。 縁が綺麗に加工されていて隙間なく積まれてます。
加工が綺麗すぎて最近造られた石垣みたいみ見えますが、造られたのは1631年頃で、現在の姿は1751~1764年頃に修復された時の状態です。
金沢城・三十間長屋の石垣

元々は、食器類を納めてたとの事ですが、この広さ、必要ですかね...。
どんだけ食器があったのか...。
金沢城・三十間長屋

ただ積んでるだけに見えますが、このユルさが強度に関係するのでしょうか?
あまりキッチリと組むと地震の揺れ倒壊しそうだし...。
金沢城・三十間長屋

金沢城・三十間長屋

鶴丸倉庫
1848年に建てられた武具などを収納した倉庫です。
こちらも明治の火災による焼失を逃れた貴重な現存建物です。
陸軍の駐屯地として使用されていた頃、被服倉庫として使用されていたようで、その時に多少、手を加えられているようです。
金沢城・鶴丸倉庫

金沢城・鶴丸倉庫

細長い建物が多いので、こういった広々とした空間は珍しいかも知れません。
使用されている木材が綺麗に加工されているせいか、あまり古い建物と言った感じはしませんね...。 それとも蛍光灯による照明のせいかな?
金沢城・鶴丸倉庫

金沢城・鶴丸倉庫

戌亥櫓の石垣です。
軽く加工された石が使用されており、隙間に板状の石がはめ込まれています。
1661~1673年頃、1766年頃に修復されているようなので、金沢城の中では比較的古い部類に入る石垣なのかも知れません。
金沢城・戌亥櫓石垣

現存建物は以外と少ない金沢城ですが、多くの復元建物や多彩な石垣があり、見所の多い城でした。 内部を見学する場合は、あまり遅い時間に行かない方が良いかと思います。

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