富士山の世界遺産めぐり(1)2017年09月18日

富士山と五重塔が一緒に写った美しい写真を目にするが、どういう訳か一度も行った事が無い事に気が付きました。 場所もよく分からないのですが、富士山周辺には世界遺産登録されている神社がいくつかあるので、「その中の一つでは?」との思いで散策する事にします。

駿河国一之宮 富士山本宮浅間大社
新東名高速道路の新富士インター近くにある世界遺産登録されている神社で、各地にある浅間神社の総本山とされる場所です。 例の写真の本命はここかと思ってました。
バイクを停める場所が解らず第2駐車場の人に聞いたら参道入り口の端の方に停めて良いとの事なのでそこに停めます。
富士山本宮浅間大社・石鳥居

朱色の美しい楼門です。 左右には随身様が安置されています。
江戸時代初期の 1604年に建てられたそうで、見た目よりも古い建物です。
「富士山本宮」の扁額は聖護院入道盈仁親王が 1819年に書かれた物です。
富士山本宮浅間大社・楼門

現在の拝殿も楼門と同じく 1604年に建てられました。
本宮浅間大社が現在の場所に造営されたのは 806年に山宮から浅間大神を移した時になります。 神社自体は現在の本殿が建てられる遥か前からこの地に存在していたようです。
富士山本宮浅間大社・拝殿

拝殿の脇に回ると本殿が見えます。
「浅間造」と呼ばれる構造だそうで、社殿の上に別の社殿を建てる、2階建てのちょっと変わった建物です。 浅間神社の中でもこの造りの社殿が存在するのは非常に少ないようです。
富士山本宮浅間大社・本殿

立派な神社ですが、お目当ての五重塔が見当たらないので奥の方を散策すると湧玉池が見えてきます。 ここは富士山の雪解け水が湧き出て溜まった池で、昔はここで身を清めてから富士山を登ったそうです。
今でも湧き水が大量に出ており、霊水を汲んで持ち帰る人も多いようです。
富士山本宮浅間大社・湧玉池

富士山本宮浅間大社・湧玉池

江戸幕府を開いた徳川家康から多くの社殿が寄進されており、その頃の面影が色濃く残っていると思われる神社です。 でも、目的の五重塔は無かったので次の神社に向かいます。
富士山本宮浅間大社

山宮浅間神社
噴火した富士山を鎮める為に第11代垂仁天皇が浅間大神を祀ったのが始まりとの事です。
信憑性はともかくとして、垂仁天皇の在位期間は紀元前29年~70年の99年間とされています。 山宮浅間神社の創建年代は不明ですが、このような言い伝えがある事からも、そうとう大昔の事だと思われます。 こちらも世界遺産登録されている神社です。

駐車スペースは案内所の前にあるので、そこにバイクを停めます。
本宮浅間大社からそれほど離れてないのですが、こちらに訪れる人は本当に少ないです。
雰囲気も神聖な場所と言った感じです...。
山宮浅間神社

参道には奉納された灯籠がズラリと並びます。
山宮浅間神社・参道

山宮浅間神社・参道

参道を進むと籠屋と呼ばれる門のような建物が見えてきます。
現在の建物は昭和8年に建てられた物で、その前の建物については不明なようです。
祭儀を行う神職や社僧が一晩参籠(祈願の為、一定の期間神社、寺院に籠る事。)した場所だそうです。 現在でもそのような使い方をされているのかは不明です。
山宮浅間神社・籠屋

籠屋を通過すると真直ぐな遥拝所への参道が続きます。
籠屋と遥拝所間の参道の両端には鉾立石が鎮座しています。 鉾立石は火山弾で、神が宿った鉾を休める為に置かれているそうです。 ここでガイドさんに出会ったので、ガイドさんの説明を聞きながら先に進みます。
山宮浅間神社・鉾立石

山宮浅間神社・鉾立石

遥拝所
建物の礎石のように石が並んでいますが、建物の跡では無いそうです。
ここには拝殿のような建物は建てられず、祭壇のみが造られたそうです。 ここに祭壇が造られた事は富士山の噴火により樹木などは無かったようで、この先には雄大な富士山だけが存在してました。 神社と言うより、海外にある祭殿のような場所ですね...。
山宮浅間神社・遥拝所

山宮浅間神社・遥拝所

樹木の隙間から富士山が見えます。
祭壇から富士山が見えるように樹木を少し伐採しているそうですが、昔は見渡す限り溶岩の跡ですからね...。 もっと神秘的な場所だったと思います。
良い所ですが、五重塔はここじゃ無いですね...。 次の神社に向かいましょう...。
山宮浅間神社・富士山

村山浅間神社
山宮からさほど離れていない場所にあり、こちらも世界遺産登録されている神社です。
駐車場のスペースはそれほど広くありませんが、自分以外には1台しか止まってませんでした。 昔の絵図に乗っているほど、修験者による富士登山への中心的な場所だったようですが、現在は参拝者も少なそうです。
村山浅間神社・入り口

大正2年に改築された現在の社殿です。 何処にでもありそうな、シンプルな社殿です。
元々は興法寺と言うお寺があったそうですが、明治の神仏分離令でお寺は分離され廃止されました。 
村山浅間神社・社殿

お寺は廃されましたが、寺院の中心的な建物だった大日堂は現存しています。
江戸後期に建てられた現存建築物との事ですが、見た感じ、相当新しい建物に見えるので、かなり手が入っていると思えます...。 大正時代までは茅葺屋根でしたが、現在は金属板葺の屋根に変更されています。
茅葺は手間がかかるので金属製に変えたのだと思いますが、できれば昔のまま修復して欲しかったですね...。
村山浅間神社・大日堂

1857年に拝殿跡に造られた護摩壇です。 山伏が修業に入る前や後にここで護摩焚きを行いました。 奥に見えるのは不動明王像です。
現在でも富士山開山祭、閉山祭の時にはここで護摩焚きされているようです。
村山浅間神社・護摩壇

村山浅間神社・不動明王像

大日堂の奥の方に行くと、当時の水垢離場(みずごりば)が残っています。
富士登山の参拝者はここで身を清めました。
「絹本著色富士曼荼羅図」にもこの池は描かれており、近くに大日堂っぽい建物も描かれているので、当時の位置関係と変わって無さそうな感じです。
村山浅間神社・水垢離場

敷地内の一番高い場所に氏神社が鎮座しています。
村山修験の開祖「富士上人末代」は村山の地で即身仏となりました。 その霊が祭られているのがこの神社です。 開祖した人物は、すべてを信仰に捧げた人物だったようです。
村山浅間神社・氏神社

村山浅間神社・氏神社

ここにも五重塔は無かったです。
世界遺産の浅間神社は、まだまだあるのでに進みましょう。