東京都 湯島聖堂2018年02月11日

湯島聖堂は 1690年、徳川綱吉によって湯島に建てられた聖堂に、林家私邸にあった学問所を移したのが始まりとされます。
幕府直轄の学問所としても役割りを担いますが、明治4年に文部省が設立されると、その役目を終えます。 関東大震災でほとんどの建物は焼失しており、現在の建物の多くは昭和に入ってから再建された物です。

西門
御茶ノ水駅からだと聖橋門から入った方が近そうでしたが、都道を渡るタイミングを失い、こちらから入る事になりました。 理由は不明ですが、訪問当日は都道が機動隊による厳重警備中でした。
湯島聖堂・西門

杏壇門
門の奥に見える大成殿を含め、黒で統一されている、寺でも神社でも無い独特な建物です。
昭和10年の再建時に建てられた物かと思います。
湯島聖堂は、1797年に規模を拡大する改修を行っており、昭和10年の再建は当時の姿を模しているそうです。 但し、防火対策として鉄筋コンクリートで再建されました。
湯島聖堂・杏壇門

大成殿
綱吉はここで儒学の教えを広めようとしたらしいです。
当時は働けなくなった人や赤子を捨ててしまうような事が横行していたらしく、モラルがかなり低下していたようです。 孔子が唱えた儒学の考えは、時代に合っていたのかも知れません。
湯島聖堂・大成殿

「学問発祥の地」として知られる場所でもあるので、大勢の受験生が願掛けしている風景を想像したのですが、あまり人がいませんね...。
受験生にとっては外国人の孔子よりも菅原道真なのでしょうか? 静かなのは良いのですが、ちょっと寂しげでもあります...。
湯島聖堂・大成殿

湯島聖堂・大成殿

入徳門
関東大震災で火災による焼失を逃れたのは、この入徳門と水屋のみです。
1704年に建立された建物です。
湯島聖堂の建物はほとんどが鉄筋コンクリートなので、貴重な建物です。
湯島聖堂・入徳門

湯島聖堂・入徳門

聖堂周辺の塀の様子です。
土塀風の方はコンクリートのようですが、黒い板張り風の方もコンクリートでしょうか?
コンクリートだとしたら、なかなか上手く造られていますね...。
湯島聖堂

湯島聖堂

湯島聖堂

孔子像
昭和50年に台北ライオンズ・クラブから寄贈された物です。
湯島聖堂・孔子像

仰高門
講堂近くにある門ですが、こちらも鉄筋コンクリートで再建された物です。
今の時代なら木造かつ当時の技法で再建されそうですが、昭和初期の頃は、あまりその様な考えは無かったのかも知れません。 鉄筋コンクリートの方が安く、早くできますし、再建を優先したと言った所でしょうか...。 
湯島聖堂・仰高門