北海道 五稜郭(2)2019年08月21日

五稜郭散策の続きです。
函館奉行所内部を見学した後、五稜郭周辺の散策します。

奉行所北側建物跡
函館奉行所で復元されたのは、消防法などの都合により当時の1/3です。
ここは復元された奉行所の北側で、当時建物があった場所が区画だけ展示されています。
五稜郭・函館奉行所

五稜郭・奉行所北側建物跡

公事人腰掛跡
奥に見える建物が復元された板蔵で、奉行所の記録などが保管されていました。
手前の枠部分が公事人腰掛があった場所で、訴訟の為に訪れた人が待機する場所でした。
写真には写ってませんが、さらに左側には仮牢がありました。
五稜郭・公事人腰掛跡

給人長屋跡
函館奉行所に使える給人(給料をもらっていた人)たちの住居となる長屋があった場所です。
この奥には徒中番大部屋、近中長屋がありました。
徒中番大部屋は徒士(下級武士)や中番の住居で、近中長屋は函館奉行所に使える近習の住居となる長屋です。 この辺りは使用人の住居があった場所のようです。
五稜郭・給人長屋跡

五稜郭北東側には砲台を運んだ坂がある陵堡があるので、そちらに移動します。
五稜郭

北東側陵堡
ここは五稜郭に五つある陵堡の一つです。
土塁の上に砲台を運ぶ為の坂は全ての陵堡にありますが、陵堡の中央にあるのはここだけです。 坂の両側には土塁もあります。
五稜郭・砲台を運んだ坂

陵堡の先端部分です。
上から見ると、外側の土塁との落差は結構あります。
星形要塞の起源は16世紀頃のヨーロッパで、銃撃の死角を無くす目的で考案されました。
武田斐三郎はフランスの書籍を参考に五稜郭を設計したようです。
五稜郭・陵堡

五稜郭・陵堡

東側門跡付近
陵堡間を繋いでいる土塁の上を通って五稜郭の東側に移動します。
土塁が途切れている所が東側の門があった所です。 外側の土塁もこの部分は途切れている事から、当時はここにも水堀を渡る橋があったと思います。
五稜郭・東側門跡付近

五稜郭・東側門跡付近

東側陵堡
右側に見えるのが砲台を土塁の上に乗せる為の坂です。
陵堡内部の奥の方に小さな土塁が見えます。
新政府軍と善戦していた旧幕府軍ですが、弁天崎台場が奪われると五稜郭は艦砲射撃の的になってしまいます。 この上を砲弾が飛び交っていたのでしょうか....。
五稜郭・陵堡

一番南側の陵堡に移動します。
遠くに函館奉行所が見えますが、この辺りには当時も建物は無かったみたいです。
五稜郭

南側陵堡
ここには石碑が2つあります。 一つは「一萬號記念櫻樹碑」と書かれており、函館毎日新聞が一万号発行を記念して五千本の桜の苗を植樹した時の物らしいです。
もう一つは巖谷小波(いわやさざなみ)が五稜郭で読んだ俳句のようで、「其跡や 其の血の色を 草の花」と書かれているようですが、全然読めません...。
五稜郭・陵堡

五稜郭・石碑

陵堡の土塁に登ってみます。
今は芝生のような草で覆われてますが、当時はどんな感じだったのでしょうか?
一般的な山城と同じで地面がむき出しだったのでしょうか?
五稜郭・陵堡

五稜郭タワー
最後に美しい五稜郭の全景を見たかったので五稜郭タワーに登ります。
タワー上部では、「五稜郭歴史回廊」として、ペリー来航から五稜郭開城までの五稜郭に関する歴史をジオラマで説明しています。
五稜郭タワー

やっぱり、上から見ると美しいですね。
五稜郭

函館湾側。 こちら側からガンガン砲撃されたのだと思います。
確かに、弁天崎台場を奪われると湾内に戦艦が入ってくるので致命的かも知れません。
土方歳三も重要性を知っていて救出に向かったのでしょうが、敵の銃弾を受けて亡くなります。 土方の遺体が安置された場所は今でも分かっていません。 このナゾを残した最後も彼の魅力を引き立てているのかも知れません。
五稜郭タワーからの眺め・函館湾側

駐車場側をみると相棒が小さく見えました。
さて、次の目的地、志苔館に向かいますか...。
五稜郭タワーからの眺め・駐車場側

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