兵庫県 出石城 ― 2024年09月15日
出石城は兵庫県豊岡市にある平山城で、有子山城と共に続 100名城に認定されています。
出石城の前身は有子山城です。 山城だった有子山城が 1604年に廃城になると、山裾にあった居館や曲輪を小出吉英が出石城として改修します。
小出氏は 英及が 1696年に亡くなると跡取りが無くて改易、翌年から松平忠徳が出石城主になります。 1706年に忠徳が転封になると仙石氏が入り、幕末を迎えます。
出石庁舎南駐車場
11:00頃に到着し、出石庁舎南駐車場にバイクを停めます。
出石周辺が観光地として知られている事を知らなかったのですが、思ったよりも混雑しており、ここの駐車場も戻って来た時には満車になってました。 他にも駐車場はありますが何処も混雑してました。
蕎麦が有名みたいなので、昼食時は特に混雑すると思います。
出石観光の場合は、早めに来た方が良さそうですね...。
いずし観光センター
まずは、続 100名城のスタンプを押しにいずし観光センターに行きます。
出石城と有子山城の両方が続 100名城に認定されているようですが、有子山城はハードワークになりそうで、時間的都合から今回は出石城のみの見学とします。
有子山城は別の日に再挑戦したいと思います。
ちなみに、この辺りは出石城の三之丸だったようです。
登城門、登城橋
建物は残って無さそうですが、石垣や堀の一部は現存しているようです。
登城門が復元されたのは 1994年なので、登城橋もその時に復元されたのでしょう。
良い雰囲気の場所です。
登城門を通る前に周辺の石垣を見学します。
横矢掛の出っ張りが良く分かる立派な石垣です。
ただ、廃城になった有子山城を背後に抱える感じなので、そちらから攻められたら危なそうな感じがします。 背後の有子山城は廃城後も見張りとか置いたのでしょうか...。
登城門を通った先は二之丸下段の曲輪です。
この曲輪は二之丸を囲むように L字型をしています。
今は庭園のようになってますが、昔は番所とかがあったのかも知れませんね..。
二之丸の石垣です。
野面積みのようですが、出石城を整備した時の石垣でしょうか?
でも、有子山城の頃は、この辺りは居館などがあった場所だと思うので、ここまでの石垣は無いか..。
二之丸にも2基の隅櫓があったようなので、多分、この石垣の上には櫓があったのだと思います。
二之丸虎口の方に進むと、本丸西隅櫓が見えてきました。
石垣付近に足場が組まれているので、何かしらの修復作業をしているようです。
本丸西隅櫓は 1968年に復元された建物ですが、さほど違和感は感じません。
明治時代まで現存していたので、写真でも残っていれば復元しやすいのですが、絵図でも何か情報が無いと復元は難しいですよね..。 何も情報が無い場合は、現存する他の城を参考にするのかも知れませんが...。
二之丸虎口
昔の縄張り図を見ると、当時もこの辺りに虎口があったと思います。
階段は後世に整備された物だと思うので、当時とは少し様子が違うかも知れません。 多分、左右の石垣と同じ高さになるほど階段は急では無かったのかなと思います。
何かしらの門があったとは思いますが、どんな門だったのだろう,,,。
二之丸
今は何もない公園のような場所ですが、二之丸には御殿のような建物があったようです。
曲輪の周辺も塀で囲まれていて、2基の隅櫓もあったようです。
二之丸から本丸西隅櫓を眺めた所。
櫓部分には作業用の足場が無く、櫓の横から足場が組まれているので、修復しているのは本丸周辺の塀なのかも知れませんね..。
縄張り図を見て、二之丸から本丸への虎口が無い事が不思議だったのですが、どうやら、本丸の塀が途切れた部分に御殿と行き来する渡り廊下のような物があったようです。
少し荒れてますが、ここが二之丸のもう一つの虎口です。
二之丸下段の曲輪から、ここを通る事が出来たのかは、ちょっと記憶が無いです...。
なんとなく、ここは通れなかったような気がします..。
こちらが、1968年に復元された本丸東隅櫓。
多分、今は本丸に入るには左の稲荷神社参道を通らないと行けないと思います。
伏見稲荷のような参道が美しいです。
この参道は、廃城後に神社が建てられて出来たと思ったのですが、最上段の稲荷丸にある神社は出石城を築城した時から存在し、江戸時代から誰でも参詣できたとの話しがあるので、昔から何らかの参道があったのかも知れません。
ただ、城のど真ん中にこんな参道がある城は警備上問題があると思うので、実際の所はどうなんでしょうか? 謎が多いです。
山里丸
参道を挟んだ反対側にあるのが山里丸だと思います。
思ったよりも、広々とした曲輪なのですが、どんな曲輪だったのか情報が見当たりませんでした。
石垣の角の算木積などを見ると、二之丸の石垣よりも年代が新しく感じますね....。
稲荷丸の石垣
本丸に入ると、更に上段にある稲荷丸の石垣が見えます。
出石城で一番高い石垣に思えるほど立派な石垣で、なぜ本丸が一番高い場所で無いのか不思議な感じがします。 稲荷丸の石垣は、そっちが本丸と勘違いするほど立派な物です。
本丸東隅櫓
表から見ると唐破風があって迫力がありますが、裏から見ると窓も無いシンプルな構造です。
工事用の資材が周辺に置かれていて、落ち着かない感じなので先に進みます...。
感応殿
出石藩の旧家臣らによって明治時代に建立された社殿のようで、仙石氏の祖である仙石秀久が祀られています。 1706年から出石に入った仙石氏は、秀久の末裔だったのですね...。
秀久が小諸城主になってから、仙石氏は小諸藩、上田藩を経て出石藩に移ってきたようです。
本丸西隅櫓
こちらは内部が特別公開中でした。 内部には、出石に関する資料が展示されていました。
昭和の復元なので鉄筋コンクリート製かと思っていたら、意外にも本格的な木造建築でした。
多分、同時期に復元された東隅櫓も木造建築なのでしょう。
手間がかかるかも知れませんが、やっぱ復元するなら木造が良いですね..。
一番上段の稲荷丸に移動します。
しかし、立派な石垣です。
有子山稲荷神社
稲荷丸に鎮座している神社です。
昔の縄張り図を見ると、本丸上段の曲輪の存在は把握できるのですが名称の記載はありませんでした。 「稲荷丸」の名称は後から付いた物かと思ったのですが、1604年に出石城を築城した時から鎮守としてここに鎮座していたようです。 ただ、神社の為にあんな立派な石垣を作るとは思えないので、この城は謎が多すぎます...。
ここが有子山城の登山口です。
今回はスケジュール的に無理なので、この先は次の訪問時にしましょう...。
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