京都府 伏見稲荷大社2023年11月25日

全国各地に鎮座している稲荷神社の総本宮が伏見稲荷大社です。
千本鳥居で有名な神社で、海外からも多くの観光客が訪れます。
711年2月初午の日に稲荷大神様が稲荷山に鎮座したのが始まりとされています。
827年、淳和天皇が病に倒れたのは、東寺の塔を建てる為に稲荷山の木を伐採した祟りとされ、従五位下の神階が下賜されます。 その後、伏見稲荷大社は人々の信仰を集め発展して行きます。
しかし、応仁・文明の乱では多くの建物を消失します。 その後勧進により徐々に復興され、豊臣秀吉も多くの寄進を行います。

楼門
稲荷駅から非常に混雑している参道をしばらく歩くと見えてきます。
兎に角、参道に人が多く、歩くのも大変なほどでした...。
写真は人が少ないタイミングを狙ってますが、これが限界でした...。
この楼門は、1589年に豊臣秀吉が大政所の病気平癒を祈願し、成就した事から再建しました。 京都市内の神社の楼門としては、最も古く、最大級の物です。
伏見稲荷大社・楼門

楼門の両脇は、狛犬では無く狛狐でした。
片方は玉を咥えてましたが、こちら側が咥えているのは鍵のようです。
玉は霊力がこもった宝珠のようです。
鍵の方は諸説あるようで、その中の一つが稲荷大神が五穀豊穣の神である事から「米倉の鍵」とされてるようです。
伏見稲荷大社・楼門

手水舎
竹筒から水が流れている方式で、柄杓がありません。
これもコロナ過の影響でしょうか?
伏見稲荷大社・手水舎

外拝殿
楼門のすぐ先にあるのが外拝殿です。
伏見稲荷には2つの拝殿があり、その一つが外拝殿です。
現在の外拝殿は、1840年に再建された物です。 再建前は4間四方(約 7.2m)でしたが、5基の神輿を並べる為に間口5間、奥行3間(約 9×5.5m)に建て替えられました。
周辺に吊るされている灯籠は、黄道12宮を表してるらしいです。
伏見稲荷大社・外拝殿

伏見稲荷大社・外拝殿

内拝殿
外拝殿のすぐ先にあるのが内拝殿です。
こちらは 1961年に再建された、わりと新しい建物です。
楼門、外拝殿、内拝殿、本殿が、かなり近い距離で一直線に並んでいます。
こうして見ると、外拝殿は「拝殿」と言うより「舞殿」に近い物なのかも知れません。
伏見稲荷大社・内拝殿

伏見稲荷大社・内拝殿

本殿
内拝殿の後ろにあり、密着しているのが本殿です。
本殿は応仁・文明の乱(1467 ~ 1477年)で焼失しており、現在の本殿は 1499年に再建された物です。 見た目は新しそうですが、思ったよりも古くからある建物です。
前の方の長く伸びている特徴のある屋根です。 神社の社殿、固有の屋根ですね...。
伏見稲荷大社・本殿

権殿
1635年に再建された建物です。 
現在の場所に移されたのは 1959年のようです。
本殿のすぐ近くにある建物で、本殿を修理する時に、御神体を一時的に移す為の建物のようです。 要は、神様がリフォーム中に引っ越す場所です。
このような建物は、本殿の修理が終われば役割を終えるので、取り壊されるのかと思ったのですが、こうして残っているのは意外でした。
伏見稲荷大社・権殿

権殿の隣にある鳥居です。
凄い人の数です。 今回の旅で、一番混雑していた社寺だと思います。
この鳥居の先を少し進んだ所が有名な千本鳥居になります。
伏見稲荷大社・鳥居

玉山稲荷社
伏見稲荷大社の末社ですが、かなり立派な社です。
元々、東山天皇が宮中で奉祀していた稲荷神社のようです。 東山天皇が崩御した後、別の場所に移されたようで、1874年から現在の場所に鎮座しているようです。
伏見稲荷大社の中に、別の稲荷神社があるのは、ちょっと不思議な感じがします。
伏見稲荷大社・玉山稲荷社

奥宮
稲荷山の上の方にあるのが奥宮かと思っていたのですが、本殿のすぐ裏にあるこの社殿が奥宮でした...。 本殿に、これだけ近い奥宮と言うのも珍しいかも...。
現在の建物は天正年間(1573 ~ 1592年)に建立された物です。
1459年の指図に「命婦」として記載されているとの事なので、何らかの建物はもっと前から存在していたのだと思います。
伏見稲荷大社・奥宮

千本鳥居
赤い鳥居の奉納が広まったのは、江戸時代に入ってからのようです。
この鳥居は山の上の方まで続いてるのですが、途中までしか登った事がありません。  今回も時間的に一番上までは登れませんが、いつかは登ってみたいですね...。
空いてるように見える写真ですが、人が入らないようにしているだけで、実際は、かなり混雑しています...。 かなり前に訪問した時は、千本鳥居で自分一人の自撮りが可能なくらい空いてたのですが、今はそんな雰囲気ではありません...。 訪問する時期によるのでしょうか...。
伏見稲荷大社・千本鳥居

伏見稲荷大社・千本鳥居

奥社
「おもかる石」がある奥社まで登って来ました。 「おもかる石」は、この社殿の裏の方にあります。 「おもかる石」は丸い2つの石で、願を念じて持ち上げた時に、思ったよりも軽かったら願が叶うと言う物です。 まぁ、人が多すぎて持ち上げるのは止めましたが...。
伏見稲荷大社・奥社

千本鳥居は、まだまだ続きます。
伏見稲荷大社・千本鳥居

伏見稲荷大社・千本鳥居

途中、伏見神宝神社への分岐があったので、そちらに寄り道してみます。
こちらには鳥居は無く、山道を歩いてる感じです。
伏見稲荷大社・伏見神宝神社へ

伏見神宝神社
ここは稲荷山では無く、丸山(笹山)と言う別の山です。
御祭神は、天照大神、稲荷大神、十種神宝です。 社名の「神宝」は、この「十種神宝」が由来のようです。
かなり前から鎮座していたようで、伏見稲荷大社より前との説もあるようです。 しかし、応仁・文明の乱で社殿は破壊されてしまい、現在の社殿は 1957年に再建された物です。
伏見稲荷大社・伏見神宝神社

伏見稲荷大社・伏見神宝神社

再び千本鳥居に戻って稲荷山を登ります。
伏見稲荷大社・千本鳥居

伏見稲荷大社・千本鳥居

小さな社が密集している所に出ました。 白旗大神が祀られている付近だと思います。
だいぶ登ってきましたが、この辺りでもまだ半分くらいでしょう...。
この辺りの小さな社は知らない物が多いです。
独特な雰囲気です。
伏見稲荷大社・白旗大神付近

金鷹大神
伏見稲荷大社・金鷹大神

大地の大神
伏見稲荷大社・大地の大神

これ以上登ると帰り時間が不安になるので、今回はここまでにしましょう..。
本気で上まで登るのであれば、伏見稲荷大社だけで半日使うくらいのつもりで来ないとダメなような気がします...。
伏見稲荷大社・大地の大神付近

下まで降りてきましたが、まだまだ人が多いです...。
ここに来るのは早朝かな..。
伏見稲荷大社

伏見稲荷は京都の中心部から少し外れている事や、混雑している事が分っているので何となく訪問を避けており、気が付いたら14年ぶりの訪問になりました。
しかし、ここは、本当に外国人観光客が多い場所です。 日本人よりも多いような気がしますね...。


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