兵庫県 出石城周辺2024年09月15日

出石城の見学を終えた後、家老屋敷を見学して行く事にします。

稲荷神社
出石城の参道を下りてくると途中に稲荷神社がありました。
出石城に登る時は二之丸側から登ったので、この神社の存在には気が付きませんでした。
稲荷丸にある有子山稲荷神社は出石城が築城された頃からあったようですが、この神社も昔からあったのでしょうか...。 廃城後に神社が出来るケースは珍しく無いので、美しい参道を含めていつ頃からあるのか分からない事が多いです...。
出石城・稲荷神社

出石城・稲荷神社参道

辰鼓楼
ここは、昔は三之丸の大手門があった場所のようです。
辰鼓楼は、廃城後の 1871年に大手門の石垣を利用して建てられました。
内部は4階建で、高さは 13m あります。
昔はお寺の鐘で時刻を伝えていたが、その代わりとして辰鼓楼が建てられ、当初は最上階から太鼓を鳴らして時間を伝えていたようです。 時計台になったのは 1881年からのようで、かなり古くから時計台として存在していたようです。
出石城・辰鼓楼

出石城・辰鼓楼

山の上の方を見ると石垣が見えるので、多分、あれが有子山城の石垣だと思います。
あそこまで登るのは大変ですね...。 往復で 2 時間はかかりそうな気がします。
既に 12時なので、今回は登らなくて正解ですね..。
でも、思ったよりも綺麗な石垣なので、近い内に挑戦したいと思います。
有子山城

出石家老屋敷
この建物は、出石城内に残る唯一の武家屋敷です。 江戸時代後期に使われていた建物で、家老クラスの上級武士の住居と考えられています。 この辺りも三之丸だった場所です。
明治維新で出石城が廃城になると、ほとんどの建物は取り壊されてしまい、また、1876年の大火でほとんどの建物が消失しており、この建物は大変貴重な物になります。
外観は平屋ですが、二階部分が存在します。
出石家老屋敷

出石家老屋敷

出石家老屋敷

出石家老屋敷

ここから隠し2階に上がれます。
階段は上に引き上げる事が可能で、2階に登った後、階段を引き上げて天井板で隠してしまうと、2階の存在は分からない構造になっています。
2階は12畳と7畳の2間あります。 密談などに使用していたのかも知れませんね...。
出石家老屋敷・隠し2階

出石家老屋敷からの眺め

バイクを停めた駐車場の方に戻ってきました。
橋河川公園や、出石庁舎がある辺りも三之丸だったようです。
この辺りには「御対面所」と呼ばれる、藩主の住居と政務を執る大きな建物がありました。
当初、出石城の藩主は本丸にある御殿で生活をしてましたが、1697年に松平忠徳が藩主になると、1702年に三之丸に「御対面所」を建ててそこで生活するようになりました。
山の上の御殿は、平和な時代には不便だったのでしょう。
出石城登城・橋河川公園

出石庁舎駐車場

出石そばも有名なので、次回訪問時は有子山城を登った後にそばを食べたいですね..。


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