神奈川県 称名寺、金沢文庫 ― 2025年01月12日
称名寺の正確な建立年代は不明です。
北条実時(1224 ~ 1276年)が六浦荘金沢の居館内に建立した持仏堂が始まりと推定されています。 実時は金沢氏の祖となる人物で、北条氏の幕政に深く関わりました。 1275年に政務を引退した後は蔵書を集めて金沢文庫を創設しました。
その後、金沢氏に引き継がれ、三代定顕が七堂伽藍を配した大規模な寺院に整備しました。 その頃が称名寺の最盛期だったようで、鎌倉幕府と金沢氏が滅ぶと徐々に衰退して行きます。
惣門
健在の称名寺の境内からは少し離れた場所にある門で赤門とも呼ばれています。
現在の惣門は 1771年に再建された物です。
その頃には称名寺は衰退していたと思われますが、江戸時代でもこの辺りまで称名寺の境内だったと思われます。
称名寺塔頭 光明院 表門
先ほどの惣門から現在の称名寺に向かって一直線の道があり、恐らく、そこが当時の参道だったと思われます。 その途中にあったのが、この光明院の表門です。
1665年に建立されました。
江戸時代後期、称名寺に5つの塔頭があったようで、光明院はその中で一位だったようです。衰退したとは言え、5つも塔頭があった事から、江戸時代でもそれなりの勢力があったようですね..。
仁王門
現在は、ここから先が称名寺の現在の境内になります。
この仁王門は 1818年に、豪商、石橋弥兵衛が寄進した物です。
また、安置されている仁王像は 1323年に造られた物なので、門よりもかなり古い物です。
理由は良くわかりませんが、現在は門をくぐる事が出来ず、門の脇から称名寺の境内に入ります。
浄土庭園
称名寺の庭園は、1319 ~ 1320年にかけて造営されました。
平安時代~鎌倉時代に作られた浄土庭園と呼ばれる様式で、主要建築物の前に苑池を配置し、極楽浄土の世界を再現しています。
苑池の中心には中島があり、仁王門から金堂に向かって一直線に橋が架けられています。
ただし、現在の庭園は、古図や発掘調査に基づいて 1987年に復元された物のようです。
金堂
現在の建物は、1681年に再建された物のようです。
実時の子、顕時の時代に弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、金堂が建立されたのは三代定顕の時代のようです。 ただ、現在の金堂に位置に弥勒堂があったとの話しがあるので、弥勒堂を拡張して金堂にしたのかも知れません。
再建当初は茅葺屋根だったようです。 本尊は木造弥勒菩薩立像。
釈迦堂
金堂の隣にある建物です。 建立されたのは 1862年なので、称名寺に現存する建物の中では比較的新しい方のようです。
本尊は 1308年に造られた釈迦如来立像で、京都嵯峨の清涼寺の釈迦如来立像を模した物のようです。
鐘楼
以前は、大晦日に参拝者が梵鐘を撞く事ができたようですが、老朽化により 2011年からは撞けないようです。 この梵鐘は 1301年に顕時が鋳造した古い物です。
鐘楼は関東大震災で倒壊し、その後再建された物のようですが、梵鐘は当時の物がそのまま吊るされています。 古い梵鐘を金沢文庫内で保管する案もあったようですが、本来あるべき鐘楼の中で保管する事になったようです。
境内に小さな達磨が並べられていたのですが、これは「おみくじ」のようです。
達磨の中におみくじが入ってるようで、おみくじを引いた人が達磨を境内に並べて帰っているようです。 おみくじを結んで行くのと同じ感覚のようですね..。
観音広場
称名寺の境内は広いのですが、大半は裏山になります。 その裏山に八角堂があるので登ってみる事にしました。 その途中にあったのが観音広場です。
ここは、他とは雰囲気が異なる場所でした。 ここまで登って来る人は少ないので静かな場所です。
八角堂
想像以上の山登りでしたが、なんとか八角堂に到着しました。
が、ほとんど使われている感じが無い、廃墟のような場所でした..。
正直、八角堂は見に来なくてよかったですね..。
ここまで登って着たら、北条実時御廟の方まで裏山を歩く事にしました。
北条実時御廟
八角堂から思ったよりも距離がありました。
ここが、称名寺を創建した北条実時のお墓です。
実時は、鎌倉幕府執権北条義時の孫で、幕府の要職を務めた人物です。 また、金沢文庫の基礎を築いた人物でもあります。 左右には、一門の墓である五輪塔が並びます。
中世の隧道
裏山から下りてきました。 だいたい称名寺を見終わったので、金沢文庫に行く事にします。
こちらは中世に作られた隧道で、現在は崩落の危険があるので通行する事が出来ません。
既に称名寺の伽藍が整備されていた頃の 1323年の絵図には阿弥陀堂の後ろに門が描かれているようで、その頃から隧道があったようです。
こちらが現在の隧道。
称名寺から金沢文庫に行く事が出来ます。
金沢文庫
こちらが現在の金沢文庫です。
中世の金沢文庫もこの辺りにあったようで、金沢北条氏三代に渡って貴重な書物が集められました。 鎌倉幕府滅亡後は称名寺が金沢文庫を管理しますが、書物の大半は権力者達に持ち去られてしまいました。
現在は称名寺の宝物を管理する博物館として運営されています。 なお、1930年に博物館が建てられた時は称名寺の境内だったようで、1990年に現在の場所に移転しました。
この後、特別展「運慶」を見てから帰りました。
8:40 に金沢八景駅を出発して、13:00 に金沢文庫駅に到着。
いい散歩になりました。
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