長野県 高島城2020年10月25日

1590年、小田原征伐後に徳川家康は関東へ移封する事となり、この地の領主だった諏訪頼忠も武蔵国へ転封となります。 代わりに、豊臣家臣であった日根野高吉が領主となり、1592年に高島城の築城を開始します。
当時は高島城の近くまで諏訪湖畔が迫っており、「諏訪の浮城」と呼ばれていたようです。
関ヶ原の戦いの後、徳川氏に付いた諏訪氏は功績を認められ、1601年に旧領に復帰します。 以降、明治維新まで諏訪氏が領主となります。
廃藩置県後の 1875年には天守は撤去され、翌年からは公園として利用されます。

天守付近にも高島城専用の駐車場があったようですが、訪問当日は存在に気が付かづ、バイクは諏訪市役所の手前にある観光駐車場の普通車スペースに停めました。
到着したのは 日曜日の 9:30 頃でしたがガラガラでした。
諏訪市観光駐車場

水堀(内堀)
東側の内堀は当時の状態に近い感じで現存しているみたいです。
駐車場からの歩道橋から水堀の様子が良く見えます。
西側は普通の道路になってます。 当時は諏訪湖が城の近くまで迫っていたようなので、西側は湖だったので堀は無かったのかも知れません。
高島城・水堀

富士見櫓跡
歩道橋を渡って左側に進んだ先に富士見櫓跡があります。
本丸の南東側を守る櫓だったと思いますが、石垣や礎石などの後は残って無いようです。
古い絵図をみると2層の櫓だったようで、広さから見てもそれほど大きくは無かったと思います。
高島城・富士見櫓跡

富士見櫓と土戸門の間は多門櫓でつながっていたようです。
ここから奥の方に多門櫓が連なっていたのだと思います。
高島城・富士見櫓付近の多門櫓跡

土戸門跡
土戸門は勝手口だったようです。
荷物や商人、職人、また、位の低い役人などはこの門から出入りしていたようです。
枡形だったのか、当時のイメージがつきにくかったです。
高島城・土戸門跡

諏訪護国神社
本丸南東側には護国神社が鎮座していました。 公園化した城跡に護国神社を建立するケースは他でも良く見かけす。 ただ、この護国神社は諏訪大社との関係があるのでしょうか? 両側に御柱が立っています。 社殿も諏訪大社と幣拝殿に似ています。
本丸御殿の見取り図を見ると、この辺りは「氷餅部屋」があった場所のようです。 氷餅は餅を凍らせたまま乾燥させた菓子で、将軍家にも献上されていたようです。
高島城・諏訪護国神社

川渡門
現在の門は三之丸御殿の裏門を移築した物なので、当時の川渡門では無さそうです。
南西側には多門櫓があったようですが、川渡門とは繋がって無かったようです。 当時の門は、どんな建物だったのでしょうか?
この門の先まで湖が来ていた頃は、ここから船に乗る事ができたようです。
そう考えると、諏訪湖はだいぶ小さくなったみたいですね...。
高島城・川渡門

本丸
今は公園になっていますが、ここに大きな本丸御殿がありました。
この敷地いっぱいに御殿が建てられていたようです。 現在の日本庭園がある辺りは公園の中央部分なので、御殿の書院や大納戸があった辺りかと思います。 御殿の奥(北側)には長局と呼ばれる、江戸城の大奥のような場所もありました。
高島城・本丸

高島城・本丸

持方月櫓跡
本丸東側の中央付近には持方月櫓がありました。
礎石や石垣などの痕跡は残されていないようです。 古い絵図では2層櫓で描かれているので、規模的には富士見櫓と同じくらいかと思います。
高島城・持方月櫓跡

角櫓
本丸東南の角櫓は復興櫓が建てられていました。
古い絵図と同じ2層櫓で再現されており、富士見櫓、持方月櫓も大体、同じような規模感だったのかと思います。 間取り図を見ると、こちらの櫓は多門櫓で持方月櫓と繋がっていたようです。
ここは茶室として営業しているみたいです。
茶室は、未だに敷居が高く感じて入る事が出来ない....。
高島城・角櫓

冠木門
高島城の絵図では楼門、または高麗門と記載されているようですが、築城当時は冠木門だったので、その名残ではとの事です。
こちらの建物は 1970年の復興天守建築時に合わせて再建された物です。
冠木門の先は冠木橋で、さらにその先は二之丸でした。 高島城は、本丸、二之丸、三之丸が直線に並ぶ連郭式城郭でしたが、二之丸、三之丸の痕跡はほとんど残っていません。
高島城・冠木門

高島城・冠木門

冠木門の石垣は野面積みで、角の部分が綺麗に成型された算木積です。
本丸南側と東側の石垣は高さも十分で立派な物ですが、それ以外の石垣は規模も小さかったようです。 奥に角櫓が見えます。
高島城・冠木門付近の石垣

天守
1970年に建てられた鉄筋コンクリート製の復興天守です。 内部は資料館になっています。
続100名城のスタンプはここの1階に設置されています。
この地域の寒さに耐えられる瓦の入手が困難だった為、天守の屋根は杮葺でした。 復興天守では耐久性の問題から銅板が使用されているようです。
外観も、忠実に再現とは行かなかったようですが、冠木門から見た天守は美しかったです。
高島城・天守

高島城・天守

天守横の亀石
元々、城内の庭園にあったようですが、廃城後に個人の庭園に移されていたようです。
2007年に城内に帰ってきました。 水をかけると願いが叶うと伝わります。
高島城・亀石

今回の旅の目的だった2城の散策が無事に完了しました。
今後、コロナの蔓延が酷くなると、旅の継続が困難になるかも知れませんが、収束を願いつつ旅を続けたいと思います。