茨城県 鹿島海軍航空隊跡(2) ― 2024年10月13日
鹿島海隅航空隊跡見学の続きです。
鹿島神社跡
本庁舎の横に築山(庭園などの人工的な山)があり、そこには鹿島神社が鎮座してました。
説明には「各隊の基地名を入れた神社」との記載があったので、ここに来る前に参拝した鹿島神宮とは直接関係無いかも知れませんね..。 社や鳥居は失われてますが、手水舎は近くの大宮神社に移設されたそうです。
訓練生は、朝 5:45 に起床すると鹿島神社に参拝し、それから点呼が行われていたようです。
池の跡
本庁舎裏にはひょうたん形の池があったようです。
池の横には装飾された街灯用の柱が「への字型」に折れ曲がった状態で残されていました。
池底はコンクリートで固められてますが、その割れ目から勢いよく雑草が生えている状態です。
植物の力は凄いですね..。
本庁舎の裏には士官舎があり、その建物間は渡り廊下で繋がっていたようです。
本庁舎裏には渡り廊下の形をしたような出入り口跡があり、多分、ここが士官舎に渡り廊下で繋がっていたのでしょう。
1975年に撮影された航空写真には渡り廊下らしい痕跡が残されているので、病院時代もそのまま利用していたと思われます。
士官烹炊所跡
本庁舎と士官舎の間にある渡り廊下の途中に、士官用の烹炊所がありました。
「烹炊所」とは、海軍の厨房、食堂の事です。
建物は現存しませんが、基礎部分が残されているので間取りは把握できます。
渡り廊下側の部屋が食堂で、奥の部屋が厨房かな?
士官舎跡
ここは、海軍兵学校を卒業した教官用の宿舎だった場所です。
近くには士官用の浴場もありました。
細かく部屋が区切られているので、士官は個室を与えられていたのかも知れません。
建物は、本庁舎、士官舎、学生舎の順に並んでおり、士官舎の奥には予備学生、予備生徒用の学生舎がありました。 そちらの建物は間取りが少し大きめなので、何人かの相部屋だったと思います。
消火栓
錆びているので色は良くわかりませんが赤かったようです。
消火栓は全部で 22ヶ所に設置されていたようで、これはその中の一つです。
奥に見えるのが汽缶場(ボイラー室)だった建物とその煙突です。
あちらの方まで行ってみます。
建物が無いので非常に広く感じます。
汽缶場(ボイラー室)
24.2m × 13.9m (短部は 12.3m)の建物です。 トタン張の建物で、かなり劣化しています。
現在、建物中にはランカシャーボイラー 2台、縦型ボイラー 1台、ディーゼル発動機 1台が残ります。 海軍時代はランカシャーボイラーが 4台あったようですが、病院時代に 2台が撤去されたようです。 2台だけ撤去というのも中途半端ですね... まさか、病院時代にも使われていた?
海軍時代はここから排水ポンプを使って施設全体に回していたようです。
煙突の高さは 32m、根本部分の直径は 2.3m です。
これほど大きな煙突を近くで見る事が無いので、大きさに圧倒されます。
ランカシャーボイラー
1844年にイギリスのウィリアム・フェアベアンが発明したボイラーです。
ボイラーの炉筒を2つにして蒸発面積を 2倍にしています。
2台のボイラーは同じに見えますが大きさが異なります。 左側は直径 2.68m、長さ 9.25m で 180馬力です。 右側は直径 2.26m、長さ 7.66m と少し小さく、出力は 110馬力です。
建物の中央付近にあった縦型ボイラー。
年代的にも新しそうなので、病院時代の物でしょうか?
海軍時代にランカシャーボイラーが 4台あった事を考えると、建物内の空スペースは限られてくるので、もしかしたらこの縦型ボイラーを設置する為にランカシャーボイラー 2台を撤去したのかも知れませんね..。
富士電機製のディーゼル発電機です。
さすがにこれは、病院時代の物でしょう..。
汽缶場の宿直室です。
廃墟感が出ていて、なかなか良い雰囲気です。
当直者がここで寝起きしていたのでしょうか..。
自力発電所跡
既に形を失いそうな雰囲気です...。 18.5m × 10.4m の広さで外壁はトタン板です。
屋根が骨組しか残っておらず、中に入るとガラス張の温室のような雰囲気です。
どのように保存して行くのか、判断が難しい建物ですね...。
海軍時代の発電機類は残っておらず、病院時代は変電所として使用されてました。
自力発電所の近くにあった物乾場跡です。
近くに兵員洗濯場があり、洗濯物の物干し台です。
コンクリートの柱に鉄パイプを通した構造で、一見すると鉄棒のような遺構です。
今回はこのままカフェの方に戻ってしまったのですが、霞ヶ浦の湖岸の方にも当時の遺構がありそうなので、もう一度行きたい場所です。
by mz80 [茨城県] [旅行] [コメント(0)|トラックバック(0)]
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