石川県 石川県立歴史博物館、加賀本多博物館 ― 2025年08月10日
石川県立歴史博物館、加賀本多博物館は、煉瓦造りの建物が 3棟並ぶ特徴的な建物です。
この建物は、金沢陸軍兵器支廠の兵器庫として使用されていました。 現在は第1棟、第2棟が石川県立歴史博物館、第3棟が加賀本多博物館として使用されています。
近くにある金沢城は 1875年(明治 8年)から旧陸軍歩兵第 7連隊が使用しており、1898年(明治 31年)からは旧陸軍第 9師団が置かれます。
金沢陸軍兵器支廠も同年に新設されて翌年に金沢に移転します。 太平洋戦争終結後にどのように使われていたのかは良く分かりませんが、この建物が博物館として使用されるようになったのは 1986年からのようです。
左が石川県立歴史博物館、右が加賀本多博物館です。
ここは、博物館の建物自体が国の重要文化財に指定されています。
とにかく外観が非常に美しいです。 左側が加賀本多博物館(第 5号兵器庫)、右側が石川県立歴史博物館(第 6号兵器庫)です。
加賀本多博物館(金沢陸軍兵器支廠 第 5号兵器庫)
現在の加賀本多博物館は、第 5号兵器庫だった建物で、1909年(明治 42年)に建てられました。
3棟並ぶ煉瓦建物の中では一番古く、この建物だけが明治期に建てられました。
一見すると他と同じ外観に見えますが、よ~く見るとこの建物だけ外観が微妙に違います。
この博物館は加賀藩の重臣だった本田家の資料を中心に展示しています。
色々威二枚胴具足
戦国時代の甲冑で、加賀本多家初代 本多政重の所用と伝わります。
この甲冑は政重が宇喜多秀家の元で関ヶ原合戦に参戦した時に着用した物と伝わります。
政重は徳川家康の重臣 本多正信の次男ですが、関ヶ原合戦では西軍に付きました。
敗戦した西軍側でしたが政重は罪に問われず、1604年には直江兼続の養子になり直江勝吉を名乗ります。 1611年には加賀藩に帰参し、前田利常が江戸幕府から越中国の返上を要求された時は仲裁に奔走します。 主君を次々と変えており、世渡りが上手い人物だったのかも知れません。
石川県立歴史博物館 第 2棟(金沢陸軍兵器支廠 第 6号兵器庫)
第 6号兵器庫は、1913年(大正 2年)に建てられました。
煉瓦の積み方は、第 5号兵器庫と同じくイギリス積です。 ただ、改修工事の影響なのか、土台部分の煉瓦の積み方が異なるようです。 第 5号兵器庫は土台部分もイギリス積でしたが、こちらは小口積のように見えます。
第 2棟には、博物館の発券所やいしかわウェルカムラウンジ、ワークショップルームなどがあります。
石川県立歴史博物館 第 1棟(金沢陸軍兵器支廠 第 7号兵器庫)
第 7号兵器庫は、1914年(大正 3年)に建てられました。 第 6号兵器庫と、ほぼ同じ年代に建てられており、外観の違いも分かりませんでした。
赤レンガ建物 3棟はそれぞれ異なる手法で復元保存工事が行われているようです。
第 1棟は外壁の煉瓦積みを残し、内部の木造架構も撤去して鉄筋コンクリート造りになっています。
第 2棟は内部の木造架構を残し、鉄骨の柱梁組を追加して補強しています。
第 3棟は、第 1棟、第 2棟の復元保存工事で出た木材を利用して補修し、鉄骨の利用を最小限に抑えています。
石川県立歴史博物館 第 1棟では、「未来へつなぐ - 能登半島地震とレスキュー文化財 -」の特別展が行われてました。
昨年の正月に発生した能登半島地震による文化財レスキューの様子が詳しく展示されていました。
文化財レスキューに関しては、あまり情報が出てこないので興味深い内容でした。
特に、損壊した個人宅からも文化財をレスキューしていた事は初めて知りました。
金沢陸軍兵器支廠 第 7号兵器庫の独立基礎
建物の柱を地下で支えていた基礎部分です。
1983年から始まった復元保存工事の時に石川県立歴史博物館 第 1棟から掘り出されました。
煉瓦積みの高さは 1.4m、下部は 1.3m 四方、上部は 70cm 四方の大きさです。
金沢陸軍兵器支廠 兵器庫通用門
この門は、兵器庫に隣接した練兵場を隔てる土塁に設置されていた物です。
建設当初から「裏門」と呼ばれていたようで、建設当初は鉄製の扉でしたが、1943年に木製に変わりました。 2015年に扉、石敷き、土塁を当時の姿に復元したようです。
門を移設したような説明は無かったので、昔しからこの場所だったのかも知れません。 だとしたら、現在のNTT西日本出羽町ビルがある辺りは練兵場だったのかな?
旧陸軍第9師団 司令部庁舎
1898年(明治 31年)に旧陸軍第 9師団の司令部庁舎として建てられた建物です。
元々は金沢城の中にありましたが、1968年に石川県立能楽堂がある場所に移築されました。 その時、建物の両翼が切り詰められ、外壁も漆喰からモルタルに変更されました。 建物の幅が現在よりも狭い写真はその頃の姿だと思います。
2020年に国立工芸館として利用する為に現在の場所に移築さました。 その時、撤去された両翼が復元され、司令部庁舎だった頃の姿に近づきました。
旧陸軍金沢偕行社
この建物は、将校の社交場として 1909年(明治 42年)に現在の石川県立能楽堂の横の敷地に建てられました。 戦後は国や県の庁舎として利用されます。
国立工芸館の移転に伴い、2020年に現在の場所に移築されました。 移築時に撤去されていた講堂部分や窓枠などが当時の姿に復元されました。
隣の司令部庁舎がシンプルな外観なのに対して、こちらの建物は華やかな外観になっています。
次は、雪が降っている冬に来たいですね..。


















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