福井県 越前大野城の武家屋敷2022年08月10日

越前大野城を見学を終えた後、周辺の武家屋敷も見学する事にします。

旧田村家
旧田村家は、大野藩家老を務めた田村又左衛門の屋敷を移築した物です。
田村家は、1827年の大火で焼失しており、その後、農家を移築して武家屋敷に改修しています。
越前大野城・旧田村家

見学できる部屋は5部屋。
農家を移築して武家屋敷化した建物ですが、元農家とは思えない雰囲気です。
田村又左衛門は、初代・央俊が 1759年に本家から 100石で分家した家系で、2代・俊強も家老職でした。 中々の名家のようです。
越前大野城・旧田村家

越前大野城・旧田村家

奥の部屋から庭に出てみます。
風車が涼しげです。 隣には蔵もありました。
越前大野城・旧田村家

越前大野城・旧田村家・庭

庭の奥の方が土塁のように盛り上がっています。
庭園の築山のようですが、大野城外堀の土塁を築山代わりにしているようです。
大野市内で現存する外堀の土塁はここだけのようです。
越前大野城・旧田村家・庭

風車が印象的です。
季節限定で飾られているので、夏に来ると良さそうです。
越前大野城・旧田村家

越前大野城・旧田村家

百間堀
生涯学習センター前の水路は、百間堀と呼ばれていた外堀の一部です。
幅は 8m ほどですが、当時は 10m あったようです。
外堀は 450m 以上あったようですが、現存するのは一部だけです。 なるほど、この外堀が先ほどの旧田村家の庭の方まで伸びていたのですね。
越前大野城・百間堀

旧内山家
生涯学習センターの向かい側にあるのが旧内山家です。
こちらは幕末期の大野藩の財政再建に尽力した内山家の屋敷を復元した建物になります。
内山兄弟の兄・良休は藩直営の「大野屋」でタバコや生糸で売り上げを伸ばし、銅山の開発も行い藩の財政を再建しました。 その功績で 1860年に家老職に就きます。
大野藩は蝦夷地の開発にも関わり、弟の隆佐は藩建造の「大野丸」で現地の調査を行っています。
明治期の 1882年に建てられた建物なので、江戸時代の建物では無さそうです。
越前大野城・旧内山家

越前大野城・旧内山家

越前大野城・旧内山家

庭の奥の方に「離れ」が見えます。
時期によっては抹茶が楽しめるようですが、訪問時期は営業してませんでした。
多分、営業していない為だと思いますが、離れの散策は自由でした。
越前大野城・旧内山家

離れは大正期に建てられた物なので、母屋よりも少し新しい建物です。
間取りは、3畳、6畳、8畳の3部屋。
呼び名が分からないのですが、簾のような襖が涼し気です。
越前大野城・旧内山家・離れ

越前大野城・旧内山家・離れ

越前大野城・旧内山家・離れ

衣装蔵、味噌蔵も公開されてました。
武家屋敷と言うより、商家みたいですね..。

衣装蔵
越前大野城・旧内山家・衣装蔵

越前大野城・旧内山家・衣装蔵

味噌蔵
越前大野城・旧内山家・味噌蔵

越前大野城・旧内山家・味噌蔵

母屋の2階は天井がアーチ状になっている独特な構造らしいのですが、後で見ようと思ってたら、すっかり見学するのを忘れてました...。


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