岐阜県 苗木城跡(2) ― 2023年09月16日
前回の続きです。
本丸口門跡
菱櫓門の次に現れるのが本丸口門です。 また、左の屋根がある所が千石井戸です。
門は総欅で建てられていたので、欅門とも呼ばれていたようです。
それにしても、廃城後、苗木城の建物は移築されなかったのですかね...。
欅は丈夫な木材なので、欅で建てた門なら移築して使えそうな気がしますが...。
千石井戸
苗木城で一番高い所にある井戸です。
水が豊富な井戸だったようで、千人の用を達する事から千石井戸と呼ばれたそうです。
本丸近くのこの場所に大きな井戸があるのは、城としては重要な事だったと思います。
井戸のすぐ後ろは本丸の石垣です。
美しい勾配の石垣です。
やっぱ、1万石程度でこの規模の城を持つのは無理があるような気がしますね...。
普通、1万石程度の大名だと、屋敷を建てるだけで城は持たなかったようです。
多分、その規模だと財政的に城を維持するのに無理があったのでしょう。
武器蔵跡、具足蔵跡
手前に小さ目(4.9m × 6m)の具足蔵があり、奥に大き目(16m × 6m)の武器蔵がありました。
現在は礎石跡のみが残されています。
武器蔵の横にあるのは本丸の石垣です。上の方に展望台が見えます。
石垣は野面積みなので、苗木城の石垣としては古い方の部類かも知れません。
1722年時点の苗木藩の領民は2万人程度で、給人と呼ばれる 300 ~ 70石程度の上級家臣は 27人。 幕末には 21人まで減らされます。
その限られた人達が働いていたのが苗木城だと思います。 ちょっと勿体無いですね..。
ただ、城の遺構を現在に残すという意味では、貴重な史料ですが...。
笠置矢倉跡
本丸の西側にある矢倉ですが、普段は使われていなかったようです。
笠置山が正面に見えた事から笠置矢倉と呼ばれていたようです。
三層の懸造りとの事なので、清水寺の本堂ように斜面に建てられていたのでしょうか?
ここの倉は平で無い岩の上に柱を立て、その上に建っていたのかも知れませんね...。
近くに矢穴の開いた大きな石が置かれてました。
こな大きな石を、どこかで切り出して運んできたんですね...。
馬洗岩
本丸の隣にある巨大な岩が馬洗岩です。
周囲が 45m もある巨大な花崗岩ですが、写真では比較物が無いので今一つ大きさが伝わりません。 直に見ると、本当に大きな岩です。
かつて苗木城が攻められて水源が断たれた時、この岩の上で馬を米で洗って水が豊富だと見せかけた事から馬洗岩と名付けられました。
馬洗岩側から本丸に入ります。
かなり狭い通り道です。
玄関口門は鍵が掛かっていたようなので、もしかしたら、藩主以外はここから本丸に出入りしていたのかも知れません。
天守台
巨石と石垣を組み合わせた特殊な天守台です。 こんな天守台は初めてかも知れません。
ここからだと分かりませんが、苗木城の天守は2つの巨石に跨る感じに建てられた三層の建物でした。 現在の木組みは、当時の天守2階部分の床面を想定して復元した物です。
この木組みを見る限り、土台部分はかなり特殊な天守だったと思います。
こんな岩の上に建物を建てようと思いますかね...。
展望台からの眺めです。
結構、高い所にありますね...。
本丸には、居間や次ノ間、台所、千畳敷などがありました。
この広さにそれだけの建物を詰め込むと、本丸は、結構、ギチギチだったかも知れません。
帰りは正面口側を通りたいと思います。
本丸玄関跡
天守台があった場所から1段下がった所です。 ここが本丸玄関でした。
玄関には玉石が敷かれており、現在も玄関の敷石が再現されています。
ここから懸造りの千畳敷に入ったようなので、当時も今の階段のような感じだったのかも知れません。 また、正面の巨石の上に突き出すように居間があったようです。
ここに建物を建てるのは、本当に大変ですね...。
北側の小屋があった辺りに行くと、下の方に大矢倉の石垣が良く見えます。
大矢倉の石垣だけでも大工事ですよね...。 天守台並の規模です。
小藩が持つ城の規模では無いですね...。
玄関口門跡
今回は馬洗岩側から本丸に入りましたが、正面入り口なのでしょう。
この門から本丸側へは土廊下の建物が続いていました。
普段は鍵が掛かっていて、ここを通る事が出来なかったようです。
ここは藩主専用の入り口でしょうか?
天守台の方を眺めた所。
展望台の足場程度に思ってましたが、当時の天守もこんな感じの懸造りの建物だったようですね...。
苗木城は、とにかく巨石が目立つ山城です。
大矢倉跡が、だいぶ近くなってきました。
手前の板がある辺りが大門があった場所です。
ちょうどこの辺りが三之丸だった場所です。 大矢倉の石垣手前を左に行くと風吹門です。
風吹門跡
左側の石垣と繋がる感じに風吹門が設置されており、三之丸の入り口として機能していました 。 2階建ての櫓門だったようです。
藩主が滞在中は開門されてましたが、不在の場合は閉門され潜り戸が利用されていたようです。 矢吹門の扉は資料館に展示されており、それが苗木城で唯一の現存建物のようです。
苗木城の建物は、本当に何も残って無いみたいですね...。
苗木遠山資料館
散策を終え、続100名城のスタンプを押しに資料館に行きます。
ここには苗木領の資料やり領主だった遠山氏の資料などが展示されています。
今回は開館前に到着したので、散策後に見学しましたが、苗木城のパンフレットなども置かれているので先に行った方が良いかと思います。
苗木城は、石垣や巨石など、なかなか見所の多い城跡でした。
復元模型とかも展示されていたので、その内、建物が再現されるかも?
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