奈良県 元興寺2023年11月23日

蘇我馬子は甥の崇峻天皇が即位すると、588年に飛鳥の地に法興寺を創建します。
法興寺とは、あの有名な飛鳥寺の事です。 その法興寺が元興寺の前身となります。
710年に都が奈良に移されると、718年に法興寺も奈良に移り、名称も元興寺に変わります。
なお、飛鳥にあった寺院も、そのまま存続し、現在の飛鳥寺になります。
奈良時代の元興寺は大変大きな寺院で、東大寺や興福寺と同じ位の敷地でしたが、徐々に衰退して行きます。 室町時代には3つの寺院に分裂しており、世界遺産登録されているのは分裂した寺院の一つである元興寺極楽坊です。

北門
JR 奈良駅から徒歩で移動すると大体 20分くらい時間がかかります。
駅に一番近い門が北門なのですが、ここからは入れないので東門に回ります。
北門の情報が見当たらず、文化財登録されている感じでも無さそうなので、昔しからの建物では無さそうに思えます。
少なくとも、奈良時代にはこの場所に門は無かったはずです。
元興寺・北門

東門
こちらが受付がある東門で、鎌倉時代の建物のようです。
1411年に東大寺西南院にあった門を、元興寺極楽坊の正門として現在の場所に移築しました。 恐らく、現在の元興寺は、その頃に元興寺極楽坊として分離したのだと思います。
元興寺・東門

本堂
極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれている建物です。
元興寺東室南階大坊(僧坊)の一部で、1244年に寄棟造に改造されました。
寄棟造の妻側(屋根が三角形に見える方)を正面にしている建物は珍しいそうです。 ほぼ正方形に近い建物で、正面から見ると寄棟造には見えない、変わった屋根の建物に見えます。
屋根の瓦の一部には、現在でも飛鳥時代の瓦が使われています。
元興寺・本堂

元興寺・本堂

元興寺・本堂

本堂の西側、および、禅室の南東側には、見るからに古い瓦が使用されています。
瓦が変色しており、飛鳥時代や、奈良時代の瓦が使われています。
多分、使われている瓦としては、日本最古の部類に入るはずです。
しかし、そんな古い瓦が今でも役目を果たしている事が驚きですね...。
元興寺・古い瓦

元興寺・古い瓦

佛足石
釈迦の足跡を石に写した物です。
日本の佛足石は、奈良時代頃からあるようですが、あまり広まらなかったようです。
全国で見かけますが、割と最近造られた物のようです。
ここの佛足石は、2012年に日本・スリランカ友好親善記念として造立された物です。
元興寺・佛足石

浮図田
ここにある 2,500基余りの石塔、石仏を総して「浮図田(ふとでん)」と言うそうです。
寺の周辺から集まった物で、鎌倉時代末期~江戸時代前期の物が多いようです。
中世の元興寺は興福寺大乗院の菩提寺墓所となっていた為、僧侶の石塔が多いようです。
元興寺・浮図田

元興寺・浮図田

禅室
元興寺東室南階大坊(僧坊)の四房(室)分を鎌倉時代に改築した建物のようです。
建物を調査した所、奈良時代以前の木材が再利用されています。
元興寺は土一揆による焼き討ちにも合ってますが、これらの建物はよく残りましたね...。
元興寺・禅室

元興寺・禅室

禅室の方から本堂の方を眺めた所。
元興寺に来たのは13年ぶりですが、当時の記憶とほとんど変わって無いです。
もっとも、元興寺にとって13年の月日などは、たいした時間では無いのかも知れませんが..。
元興寺

禅室の裏の方で咲いていた室寒桜。
この寒さの中で花を咲かかせている姿が、植物の力強さを感じます。
元興寺・室寒桜

11月末なのでもっと殺風景かと思ったのですが、思ったよりも華やかでしたね...。
元興寺

元興寺・花

かえる石
河内の川べりにあった殺生石を豊臣秀吉が気に入って大阪城に移した物です。
大阪城が落城した後は、お堀の端に移され、淀君の霊が宿ると恐れられていました。
第二次大戦後は行方不明でしたが、現在は元興寺で本堂を静かに眺めています。
今は、「福かえる」「無事かえる」と言った感じに、縁起の良い石として毎年供養されています。
元興寺・かえる石

しかし、あれから13年も経っていたとは..。
足腰が弱るはずです...。


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