京都府 萬福寺(2) ― 2023年11月25日
萬福寺の拝観、前回の続きです。
天王殿の先が、萬福寺の伽藍の中心部であり、周辺は廻廊で囲まれています。
廻廊がランタンフェスタ仕様になってますね...。
なお、ランタンフェスタが開催される夜間は、大雄寶殿より奥には入れないようです。
聯燈堂
天王殿から廻廊を右側に進むと、その突き当たりにある建物です。
聯燈堂は、1789年に創建され 1972年に再建されました。
黄檗宗派の僧侶が祀られている場所です。
鐘楼
天王殿を挟んで、鼓楼と対になる場所にある建物です。
1668年に建立された建物で、2階部分に鐘が吊るされています。
鐘は太平洋戦争時に供出して失われますが、戦後に再鋳造します。 萬福寺には、合山鐘があるのに、それとは別に鐘楼が存在するのが不思議です。
1階部分を見ると、鐘楼には見えないですね...。
伽藍堂
天王殿を挟んで、祖師堂と対になる場所にある建物で、外観もほぼ同じです。
1669年に建立された建物です。
本尊は華光菩薩像で、両脇に三面大黒天と弁財天が安置されています。
斎堂
伽藍堂の隣にある建物で、1668年に建立されました。
他の寺院で言う、「食堂」のようです。 300人が一同に食事できる広い建物です。
手前に吊るされているのが雲版で、食堂に集まる時にこの板を叩いて周りに知らせます。
形を雲に見立てているのは、防火祈願のような物らしいです。 屋根の飾りとして付けられる、「懸魚」に似た感じだと思います。
同じく、斎堂に吊るされていた木魚。
こちらも、行事の時刻などを伝える時に打ち鳴らす法具です。 実際に叩かれた後が残ってるので、現在でも使われているのかも知れません。
これが木魚の原型とも言われてます。
魚が口に咥えてる玉は「煩悩」を示しており、「煩悩」を吐き出す事を意味してるようです。
どこかユーモラスな感じが良いですね...。 なかなか良い面構えです。
大雄寶殿
1668年に建立された、萬福寺の本堂になる建物です。
本尊は釈迦牟尼佛です。 本尊を囲むように十八羅漢像が並びます。 本堂内部須弥壇の上にある扁額の「真空」は明治天皇の書です。
萬福寺は、江戸時代初期の寺院なので、戦火の影響が無く、創建時の姿が良く残ってる印象を受けます。
禅堂
斎堂の対になる場所にある建物で、1663年に建立されました。 座禅をする為の道場です。
扁額の「選佛場」選佛場は、隠元禅師の書です。
修行中は、座禅も起き伏しも1畳の畳の上で行います。
修行しているかも知れないので、静かに拝観する事にしましょう...。
祖師堂
伽藍堂と対になる建物で、1669年に建立されました。
伽藍堂と対になる建物で、1669年に建立されました。
禅の祖である達磨大師坐像、および、隠元禅師からの歴代住職の位牌が安置されています。
萬福寺・鼓楼
鐘楼と対をなす建物です。 1679年に建立されました。
建物に2階に時を伝える太鼓が置かれており、朝5時と夜9時に鳴らされます。
儀式の時は、鼓楼の太鼓と鐘楼の鐘を交互に鳴らすようです。
これで、天王殿と大雄寶殿の間にある建物を廻廊に沿って拝観し終わりました。 この後、大雄寶殿の奥を拝観したいと思います。
法堂
1662年に建立された建物です。 説法や重要な儀式などが行われます。
扁額の「獅子吼」は、隠元禅師の師である費隠通容の書です。
また、建物内の須弥壇にある扁額は隠元禅師の書です。
左が大雄寶殿、右が法堂です。 以外と距離が近いです。
ここは、他よりも神聖な雰囲気があります..。
そして、日が出ているのに突然雨が...。
少し不思議な雰囲気です。
では、残念ならが見る事が出来なかったランタンフェスタを想像しなが帰る事にしましょう..。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2023/11/25/9685553/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。