沖縄県 首里城(2) ― 2023年03月19日
前回からの続きです。
首里城の東側にある御内原に入ります。
御内原は王族の居住空間で、限られた人しか入る事が出来ません。
御内原に入ると、神殿のような雰囲気に変わります。
石垣も、石畳も、綺麗に六角形に整えた石材が使われています。
これだけすき間なく敷き詰めるには、石工の技量もかなりの物が要求されると思います。
ちょっと通り過ぎてますが、金蔵があったとされる付近です。
(金蔵があったのは、もう少し手前です...。)
本土の城は権威を見せる為に大きな石材を使おうとしますが、首里城は小さな石材を綺麗に加工して使っている感じがします。 石垣に対する拘りが少し違うのかも知れません。
井戸状貯水遺構
井戸のように見えますが、雨水を貯める貯水設備のようです。
底までの深さは 3m ほどで、内部は枝分かれしたトンネル状の空洞が広がります。
少し離れた所に、雨水の集水口が2ヶ所あります。
水深は 2m 程度になるように作られています。
御内原ノマモノ内ノ御嶽
御内原の中にも御嶽がありました。
白銀門の近くにあった事から、明治以降は「白銀御嶽」とも呼ばれてました。
写真がアップ過ぎますが、大正時代の写真を見ると扉のような物があり、多分、その辺りだと思います。 ただ、当時の写真とは、石垣の感じが現在とは少し違う印象を受けます。
白銀門
この門の先に寝廟殿があります。
この門は王族や女官が寝廟殿に入る時の専用の門だったようです。
建立年代は不明。 現在の門は昔の写真を参考に忠実に再現された物です。
他の首里城の石門とは少し異なり、この石門は全て石造りになっています。
寝廟殿
国王が亡くなった時、一時的に霊柩を安置する場所でした。
1753年に建立され、1845年に拡張されています。
どんな建物だったのか不明ですが、建物の周りを樹木が覆っていたようです。
特に神聖な場所だったので、写真とかの情報が残って無いのかも知れません。
東のアザナは物見台なので、主に一般兵が使用する場所だと思います。
王族、女官しか御内原に入れないので、兵隊がどうやって東のアザナに入るのかと思ったのですが、御内原の横にはこのような通路が通ってました。
ここを通れば、御内原に入らずに東のアザナに入れる構造になっています。
沖縄の他の城も同じような石材でした。 琉球石灰岩だと思いますが、軽石みたいな見た目です。
加工はしやすそうな感じです。
綺麗に六角形に加工されています。
東のアザナ
この細い通路の先が「東のアザナ」です。 ここは混雑してたら、大変な事になりますね..。
東のアザナは東の端にある物見台です。
東のアザナから、御内原の方も良く見えます。
正面が白銀門。 その左横にある小さな門からここへの通路に出ます。
多分、昔は木が生えていたようなので、これほど見渡しは良く無かったと思います。
さて、ここで行き止まりなので、引き返す事にします。
湯屋
ミュージアム・ショップがある女官居室の手前まで戻ってきました。
湯屋は女官たちの浴場だった場所です。
昔の風呂は、だいたい、今で言うサウナに近い物が多かったのですが、首里城はどうだったのでしょうか? ちなみに、国王が入浴した場所は不明です。
淑順門
御帰りはここからです。
淑順門は、王族や女官が御内原に入る時に使用した門です。
建立年代は不明で、現在の門は 2010年に復元された物です。
外から見るとかなり高い石垣の上にある櫓門で、攻める側からしたらかなり威圧感がある門だと思います。 この城壁は、内郭の城壁です。
右掖門
淑順門から内郭を出ると、内郭の城壁の下を歩かされる構造になっています。
その登城路を塞ぐようにあるのが右掖門です。
攻め手はこの城門で立ち往生すると、城壁の上から集中攻撃を受けるので最悪な場所です。
15世紀頃に建立された門ですが、昭和初期に櫓は撤去されてました。 石垣も戦争で損壊してましたが 2000年に現在の櫓門が復元されました。
内郭の石垣沿いに進みます。
注意深く見ると、所々に遺構部分と修復部分の境界を示す印があります。
昔の方が、もう少し野面積みっぽかったのかな?
銭蔵跡
この休憩所の場所に、昔は銭蔵がありました。
絵図には高床式の建物として描かれています。
主に日用品に使用するお金などを管理していた建物だったようです。
創建年代は不明のようですが、18世紀前半には存在していたようです。
この休憩所は銭蔵をイメージしているとの事なので、高床式建物の柱部分を表現しているのかも知れません。
迫力のある石垣です。
100名城のスタンプラリーを始めた時は完走できるとは思いませんでしたが、残りは明日の中城城と北海道のシャシ跡群だけです。 ゴールが見えてきました。
久慶門
外郭にある門なので、ここを出ると首里城の外に出た事になります。
首里城に入る時に通った歓会門が正門で、この久慶門が通用門のようです。
1477 ~ 1526年に創建され、現在の建物は 1983年に復元された物です。 多分、戦争で破壊されたのでしょう。 存在感のある城門です。
時間がギリギリですが、同じく世界遺産の玉陵に行ってみましょう。
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