東京都 八王子城跡(1) ― 2021年04月30日
北条氏照は大石氏が築城した滝山城を拠点としていたが、1569年に武田信玄に攻められると落城寸前まで追い込まれました。 滝山城の防御能力に限界を感じた氏照は、1571年頃から築城を開始し、1587年に拠点を八王子城に移します。
豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、小田原城の支城支城が攻め立てられ、八王子城は 1590年に1日で落城します。 八王子城の主力は小田原に移っていた為、僅かな将兵と領民しか残っておらず、やむを得なかったのかも知れません。
100名城のスタンプはガイダンス施設か八王子城管理棟前に設置されていますが、ガイダンス施設はコロナの影響で休館中でした。 見学者用の駐車場も整備されているので、バイクはそこに停めました。 奥に見える北条氏の家紋、「三つ鱗」がカッコいいです。
八王子城は山裾に御殿などの居住スペースがあり、山頂の方に本丸などの防御施設があります。
多分、普段は下の方で生活し、有事の時に山に登って防御する構成なのだと思います。
まずは山裾にある御殿跡の方に向かいます。
大手門跡
1988年の発掘調査にて、この辺りに大手門があったと考えられています。
礎石や敷石から門の形状は薬医門だったと考えられています。
門があった場所を通行する事は出来ませんが、通行禁止のロープが張らされている先で、通路が左に折れている感じのようです。
大手路
発掘調査で正確な場所は特定出来てないようですが、門の場所などからここに大手路があったと考えられています。 城山川を挟んだ御主殿側の道路は江戸時代に造られた林道のようです。
曳橋
この橋を渡った先に御主殿跡があります。 いつでも落とせる曳橋なので、当時はこんなに立派な橋では無かったと思います。 橋の存在を示す資料が乏しいようですが、発掘調査で橋台の石垣が見つかっているので、この辺りに橋があった事は間違い無さそうです。
北条氏と言えば「土の城」のイメージがありますが、八王子城では要所で石垣が使われている事が発掘調査で判明されているようです。
曳橋を渡って左に曲がるとすぐに行き止まりになります。
一部復元された場所もありますが、多くは地中から発掘された 400年前の石垣です。
この石垣の位置関係から、当時の御主殿側の橋は、今より少しずれていてこの辺りだったと考えられています。
御主殿虎口
先ほどの曳橋を渡ると通路はコの字状に折れ曲がった虎口になっています。
通路は階段状になっており、全面に石が敷き詰められています。
八王子城の山裾の方は、割と石垣を多用した近世代的な城郭だったようです。
櫓門跡
虎口中段の踊り場には、建物の礎石が残っており、ここに櫓門があった可能性があります。
この敷石や石垣は、大部分が当時使用されていた物らしいです。
この先の階段を登った先を左に曲がると御主殿がある曲輪になります。
この冠木門の先が御主殿があった曲輪です。
八王子城の中では一番大きな曲輪なのかも知れません。
ここに北条氏照の居館があり、八王子城の中心的な場所だったようです。
八王子城跡は、よく心霊スポットとして紹介される事がありますが、ここにそんな雰囲気はありません。 ただ、大勢の人が亡くなった場所であることには違いありませんが..。
御主殿跡
どのような規模の建物が存在していたのか分かるように、礎石を配置して展示されています。
建物の広さは 15間半×10間(29.4m × 19.8m)あり、かなり広いです。 平屋で屋根が板葺か檜皮葺と推定されている事から、瓦の出土は無かったのかも知れません。
御主殿跡からはベネチア産のレースガラス器も出土しており、当時の北条氏は財力もあり、外部との交流も盛んだったようです。
会所跡
主殿で儀式を行った後に宴会を開いた場所と考えられています。
会所の北側は主殿と繋がっており、当時の建物を参考に会所の床が再現されています。
再現された床を見ても、立派な建物が存在していたようです。 また、会所の近くには中国製の磁器片が集中的に出土された場所もあるようです。
会所の北側には庭園があった事が発掘調査で判明しています。 庭園には池もあったようです。
氏照も、この庭園を眺めながらお酒を酌み交わしたのかも知れません。
なかなか優雅な生活を送っていたのかも知れません。
会所の南側には建物に沿う敷石通路が見つかっています。
通路には側溝もあります。 ここは特別な通路だった可能性があります。
道路状遺構
何か所か道路状遺構が見つかっています。 写真は御主殿北東付近の物です。
この先は未発掘地域になるので、どこに通じているのかは不明なようです。
道路の両脇には塀の後も見つかっており、御主殿付近の道路も綺麗に整備されていたようです。
御主殿のある曲輪を出て、本丸のあった山の方に移動します。
その途中にあるのが「御主殿の滝」で、滝のそばには慰霊碑があります。
何百年も前の出来事ですが、今でも花が添えられ供養されています。
瀧はこの慰霊碑の近くにあります。
御主殿の滝
1590年、豊臣秀吉の命を受けた上杉景勝、前田利家、真田昌幸らに攻められた八王子城はあっけなく落城します。 逃げ場を失った女・子供はこの滝の上で自刃して身を投げ、三日三晩、川の水が赤く染まったと伝わります。
戦国の世の習いとは言え、武将以外の犠牲者が出るのは忍びない事です。
では、本丸がある山頂の方に移動しましょう。
山頂への入り口は管理事務所の横なので、駐車場の近くまで戻ります。
曳橋の下を行くのが近道です。
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