東京都 八王子城跡(2)2021年04月30日

前回の続きです。
本丸に行くには、御主殿の曲輪から駐車場の方に戻ります。
来た道を戻っても良いのですが、江戸時代に作られた林道を通って戻った方が近道です。
八王子城・江戸時代の林道

管理事務所の所を左に曲がると鳥居のある登山口が見えてきます。
現在の八王子城は八王子神社の敷地みたいなので入り口に鳥居があるのだと思います。
八王子城は何度か来てますが、本丸側に行くのは今回が初めてです。
八王子城・本丸方面入り口

先ほどの鳥居から少し進むと左側への分岐路が現れます。
本丸に行くにはどちらでも良さそうですが、「金子曲輪」に寄っていくので左側の路を進みます。
分かりにくいので、もう少し道しるべがあった方が良さそうです。
八王子城・分れ道

しばらく進むと折り返すような場所があり、鳥居が見えてきます。
はっきりとは分からないのですが、この辺りが虎口だった場所なのかも知れません。
八王子城・金子曲輪の虎口

ほとんど山登りなのでちゃんとした靴を履いていた方が良いです。
管理事務所から本丸へは 40分程度かかります。
八王子城・金子曲輪へ

金子曲輪
金子三郎左衛門家重が守っていたと伝わる曲輪です。
幅は広くありませんが山の斜面に沿って細長い曲輪です。 歩いていて気付かなかったのですが、ここまでの山道に雛壇状の曲輪が存在していたようです。
金子家重は、ここで前田利家の軍に敗れ討ち取られています。
八王子城・金子曲輪

八王子城・金子曲輪

金子曲輪から柵門台へ向かう途中、崖の下を沿うように歩かされます。
多分、人工的に作られた物で、崖の上から狙い撃ちする仕組なのだと思います。
ちなみに崖の上には個人の慰霊碑っぽい物がありました。
八王子城・柵門台へ

七合目付近。
道が2手に別れます。 多分、中央部分には曲輪があり、登って来る敵を攻撃する構造なのだと思います。
八王子城・七合目付近

柵門台
名前の由来は不明のようですが、多分、この辺りに柵門があったのでしょう。
ここは、搦め手口や御主殿側にも通じる重要な拠点だったようです。
この尾根沿いに石垣があるようなのですが、このルートでは分らないですね...。
八王子城・柵門台

柵門台の先を進むと、「高丸 この先危険」の立て札が見えます。
立て札が指す先を見ると、急な斜面を下った先に細い尾根道が続いています。
安全第一なので行きませんでしたが、この先に中山家範が守っていた高丸があるのだと思います。
中山隊は、前田、松平勢に攻められると耐えきれず中の丸に撤退します。
八王子城・高丸へ

中の丸腰曲輪
高丸の案内があった場所からしばらく進むと休憩所がある開けた場所に出ました。 恐らくここが中の丸下にある腰曲輪だと思います。
三の丸を守備していた狩野一庵も、ここで打ち取られたようですが、ここが戦場になっていた頃には絶望的な状況だったと思います。
ここを一段上がった場所が中の丸です。 左右には三の丸、二の丸があります。
八王子城・中の丸腰曲輪

中の丸・八王子神社
916年、牛頭天王八王子權現の告により妙高和尚が勧請したのが始まりのようで、北条氏照が八王子城を築城した際に守護神として祀っていたようです。 社殿は落城時に焼失したようですが、元禄年間(1688 ~ 1704年)に再建されます。
「八王子」の地名の元になった神社ですが、ちょっと荒れている感じがします...。
八王子城・八王子神社

中の丸・横地社
八王子神社の隣に鎮座しているのが城代家老だった横地監物を祀る横地社です。
横地監物は八王子城が落城する前に脱出しますが、小田原城にたどり着く前に奥多摩で力尽きます。 元々は奥多摩にありましたがダム建設で湖底に沈む為、この場所に移されました。
八王子城・横地社

中の丸の様子。
奥に八王子神社の舞殿らしき建物が見えますが、半分廃墟と化しています。
ここで壮絶な死闘が繰り広げられたとは思えないほど静かな所です。
中山家範は、中の丸が落ちると本丸腰曲輪に戻り、妻と供に自刃します。
八王子城・中の丸

本丸
中の丸を少し登った先にあるのが本丸で、それほど広くはありません。
大石照基は横地監物を無理やり城から逃がすと、数十名の兵士と共に全員討ち死にします。
奥に八王子権現堂が見えます。
八王子城・本丸

本丸・八王子権現堂
八王子権現堂は、八王子城が築城された頃から存在していたようですが、当時は塔のような建物だったようです。
宝生寺の頼紹僧正、西蓮寺の祐覚和尚は八王子権現堂で先勝祈願の祈祷を行っていましたが、落城時に2人は自害します。 僧侶は自害しなくても良いような気がしますが...。
八王子城・八王子権現堂

松木曲輪(二の丸)
本丸から中の丸に戻り、松木曲輪の方に移動します。
大石照基が守備していた曲輪で、「松木曲輪」の別名は、照基が松木城主大石定基の養子だった事からでしょうか?
ここは陽当たりも良く、八王子の街並みが良く見えます。 見張りに良さそうな場所です。
ベンチもあり、ここで昼食を取る事にします。
八王子城・松木曲輪

八王子城・松木曲輪からの眺め

小宮曲輪(三の丸)
松木曲輪から中の丸に戻り、反対側にある小宮曲輪に移動します。 ここに行く道はちょっと分かりにくかったです。 小宮曲輪は狩野一庵が守備していた場所でした。
八王子神社関連の何かの建物だと思うのですが、完全に廃墟と化しています。 建物の後ろには小さな社がありましたが、何が祀られているのか分かりませんでした。
人も来ない、完全に寂れた場所です。
八王子城・小宮曲輪

八王子城・小宮曲輪の狛犬

豊臣勢 50,000人に対して守備する北条勢は 3,000人。
攻める側は前田利家、利長、上杉景勝、直江兼続、真田昌幸、信之、信繁...。 著名な武将の名前が並びます。 対する北条勢の主力は小田原城に入っている為、最初から勝ち目の無い戦いだったのだと思います。
この後、北条氏が滅び、戦国の世が終わりへと進みます。


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