東京都 旧前田家本邸 ― 2021年06月13日
旧前田家本邸は、1929年に竣工した前田利為の邸宅です。
前田利為は、旧加賀藩主 16代当主だった人物で、1927年から 3年間、駐英大使館附武官として赴任し、帰国後にこの邸宅で生活していました。
前田利為は予備役でしたが、太平洋戦争が開戦されると 1942年にボルネオ守備司令官に任命され戦地に赴きます。 しかし、その年の 9月に搭乗機が墜落して死亡します。
終戦後は連合軍に接収されますが、富士産業株式会社(旧中島飛行機。財閥会社として解体)の所有となり、その後、国有地となります。
現在は東京都立駒場公園になっており、建物内も一般公開されています。
駒場東大前駅から徒歩8分程度の場所です。 南東側入り口から駒場公園に入り、公園の奥へと進むと円形の芝庭が現れ、その奥に美しい洋館が見えてきます。
映画の撮影でも使えそうな邸宅です。 入り口は建物の左横にあります。
洋館庭門
洋館庭門を通過して振り返った所です。
玄関側と芝庭側を区切る門で、芝庭ではスキーやゴルフなどを楽しんでいたようです。
優雅な生活ですね...。
玄関
賓客を迎える為の車寄が張り出しています。
西洋のお城のような建物です。 設計監督者は塚本靖工学博士(東京帝国大学教授)だったようですが、洋館の実質的な設計は高島屋東京店などを設計した高橋貞太郎氏だったようです。 また、内装は、東京国立博物館を担当した雪野元吉氏でした。
サロン
玄関ホールを通って一番最初に通される待合室です。
部屋と言うより、玄関ホールの一部のような場所です。 向かって、右側に第一応接室の出入り口があります。
第一応接室
夫人や御令嬢のお客様が通されていた応接室です。
床は寄木細工で、ダマスク柄の壁紙とカーテンが使われています。
主人の接客用では無さそうですが、豪華な作りです。
小客室
奥に見えるのが大客室で、仕切りで区切って使う事ができます。
大客室
当時はお客様用の豪華なソファーやテーブルが配置されており、絵画などの美術品も飾られていました。 「客室」と聞くと、寝泊りする場所を想像しますが、リビングのような場所だったのかも知れません。
大食堂
26人のディナーが可能だった大きな食堂です。
当時はここに長いテーブルがあり、その両側に椅子が並んでました。
なお、大小客室、および、大食堂は、所定の手続きを行えば借りる事ができるようで、講演会や展示会、演奏会の会場としても利用されているようです。
奥に見えるのは小食堂です。
小食堂
家族用の食堂です。 大食堂を先に見たせいか、狭く感じてしまいます。
東庭のテラスがあり、部屋の隅には地下の厨房から食事を送る為のエレベーターがあったようです。 見学出来ないので気付きませんでしたが、どうやら地下室があるようです。 使用人とかは、地下室にいたのでしょうか?
使用人用でしょうか? それともプライベート用でしょうか?
小食堂の奥には小さな階段がありました。
現在はこここから2階に上がる事が出来ないので、中央メインの階段で2階に上がります。
中央階段
玄関付近の広間まで戻って2階に進みます。
2階は生活空間的な場所が中心になります。
インテリアも良い感じです。
当時は、もっと内装も素晴らしかったのだと思います。
夫人室
夫人用の居間だった場所ですが、家族が集まった場所だったようです。
今は椅子しか置いてませんが、当時はもっと豪華な家具とかも置かれていたようです。
ここから南側の芝庭が見渡せるバルコニーにも出られるようです。
寝室
侯爵夫妻の寝室です。 家具の多くはロンドンの高級家具店から船便で輸入した物です。
広い寝室です。 自分なら、ここだけでも生活できそうな広さです。
隣の三女居室との間にはバスルームがありました。
連合軍に接収された後、内装が変更されていたようですが、2016年からの保存工事の時に元の状態に戻されたようです。
三女居室
当初は夫人用の化粧室だったようで、後に三女の居室として使用されました。
左側の扉の先は間取り図によっては「納戸」と書かれており、広いクローゼットがあったとの事から「納戸」がウォークインクローゼットだったのかも知れません。
しかし、2階の多くの部分は夫人に合わせて造られている感じですね...。
女中室
展示室の先は6畳程度の和室が続きます。 これらの和室は女中たちの私室だったようです。
行儀見習いとして、金沢の女学校の校長先生が毎年、優等生を伴って来ていたほどの場所だったようです。 なお、展示室は「お溜まり」と呼ばれていた場所で、女中の作業場所だったようです。
会議室
前田家の評議員が集まって会議を開いた場所です。
利為氏が陸軍に在籍してからは部下を招いて宴会などが行われた事もあったようです。
現在はここで紹介ビデオを見る事ができます。
従者室
会議室から中央階段側に戻る途中にありました。
詳しい説明が無いので詳細は不明ですが、執事などが使用していた部屋かと思います。
今までの部屋と比べると照明や壁紙が質素ですね...。
三男居室
本来は予備の客用寝室だったようで、三男の居室として使用されていました。
現在は図書室として使用されているようです。
男子は大久保別邸にあった敬義塾で教育を受けていた為、三男も本邸にはあまりいなかったようです。
長女居室
第1客用寝室だったようですが、そののち長女の居室として使用されました。
奥の部屋とは仕切りで分けて使う事も可能です。
壁紙や絨毯は、長女の部屋として使われる時に変更されたようです。
次の間
書斎の前室で、内装は書斎とほぼ同じです。
書斎の前に小部屋があるのが凄いですね...。 利為氏は書斎で重役や元家老たちと重要な話をしたり、ドイツ語やフランス語のスピーチの練習をしていたようです。
次女居室
書斎の付属室(図書室)だったようですが、のちに次女の居室として使用されました。
図書室の名残なのか、壁側は本棚が取付けられています。
長女や三女の部屋と比べると少し狭い印象を受けますね...。
旧前田家本邸には洋館以外に和館があり、洋館と和館は渡り廊下でつながっています。
和館の1階は無料休憩所として利用可能であり、利用申込すれば茶室も利用可能なようです。 ただ残念ながら、現在はコロナの影響で和館は入る事が出来ませんでした。
旧前田家本邸を知ったのは、つい最近です。
調べれば、東京には、まだまだ良い場所がありそうですね...。
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