京都府 平等院2023年11月23日

平等院は 1052年に関白藤原頼通が父道長の別荘「宇治殿」を寺院に改めたのが始まりです。
平等院が創建した時は天台宗の寺院だったようです。
平安時代末期になると藤原氏から武士の時代へと変わり、平等院は衰退して行きます。
1336年には足利勢と楠木正成が交戦した時の火災で多くの伽藍を消失します。
戦国時代に再興されますが、江戸時代末期にはかなり荒廃していたようです。
しかし、明治時代以降、大規模な修繕工事が行われ、1994年には世界遺産にも登録されます。

平等院に到着したのは9時頃でしたが、既にその時点で人が多かったです。
平等院は、かなり長い事来ていなくて、実に14年ぶりです。
訪問時期も良くて、紅葉が綺麗でした。
平等院・紅葉

観音堂
鎌倉時代前期に、創建当時の本堂があった場所に建てられました。
長らく老朽化により非公開でしたが、2024年5月 ~ 2026年8月に修復工事が予定されており、修復後は一般公開する予定のようです。
修復の終了が楽しみです。
平等院・観音堂

鳳凰堂
10円玉の絵柄で有名な建物です。 
1053年に建立された阿弥陀堂で、「鳳凰堂」の呼び名は後に付けられた物です。
本尊阿弥陀如来坐像は、仏師定朝が手掛けた仏像で、定朝の仏像で現存するのはこの1体だけです。
池の中島に建てられ、極楽浄土の世界観を具現化したような左右対称な美しい建物です。
平等院は何度か火災の被害を受けますが、焼けずに生き残った貴重な建物です。
平等院・鳳凰堂

平等院・鳳凰堂

平等院・鳳凰堂

別料金ですが、鳳凰堂の中を拝観する事も出来ます。
ただ、一度に中に入れる人数に制限があり時間制です。 私が中に入れるのは1時間くらい後なので、先に境内の見学をします。
平等院

まずは、鳳翔館を見学。
鳳翔館は、梵鐘、鳳凰、雲中供養菩薩像などが展示されている資料館です。
元々、宝物館があったのですが老朽化により、2001年に現在の鳳翔館に建て替えられました。
鳳翔館の休憩スペースも美しいです。
平等院・鳳翔館

紅葉が綺麗です。
境内は、それほど広くはありません。
平等院・紅葉

平等院・紅葉

平等院・紅葉

鐘楼
鳳翔館に梵鐘が展示されており、11世紀頃に鋳造されたと推定されています。
ここに吊るされているのはその複製です。
平等院・鐘楼

南門
伏見桃山城から移築された門のようで、江戸時代初期の絵図には記載があるようです。
硬い赤樫が使われた建物は日本では珍しいようです。
秀吉が建てた城門として、現存する最古の建物になる可能性があるようです。
平等院・南門

浄土院
浄土院は平等院の塔頭の一つで、明応年間(1492 ~ 1501年)に平等院を修復する為に開創されました。 理由は分かりませんが、荒廃していた天台宗の寺院を浄土宗が修復していたようです。
後に平等院の管理は天台宗から真言宗に移ったようですが、勢力を伸ばしてきた浄土宗との共同管理になったようです。 まぁ、平等院を修復したのが浄土宗の浄土院であれば仕方無い事でしょう...。
平等院・浄土院

養林庵書院
左の門の先が養林庵書院のようですが中には入れません。 多分、奥に見える大きな屋根が養林庵書院だと思います。 養林庵書院は、1601年に伏見桃山城から移築されたと伝わります。
狩野山雪工房による襖絵があるようですが、特別公開としているのでしょうか?
浄土院の建物のようで、先ほどの浄土院の本堂と繋がっているようです。
平等院・養林庵書院

浄土院羅漢堂
1640年に、茶師だった星野道斎とその息子たちが建立した建物です。
内部は極彩色に彩られていて、釈迦如来像とその周辺に16羅漢像が安置されていますが、残念ながら訪問時は扉が閉じられていました.。 中が見れる時期があるようですが...。
小さな御堂ですが、存在感のある美しい建物です。
平等院・浄土院羅漢堂

最勝院
浄土院の隣にあるのが最勝院です。 こちらは天台宗の寺院です。
最勝院は平等隠の塔頭の一つで、1654年に京都東洞院六角勝仙院の僧が平等院に移り、住庵を最勝院と呼んだのが始まりです。
どうやら、一度、平等院から撤退した天台宗が、また戻って来た感じのようです..。
この後、天台宗と浄土宗で平等院の管理を巡って争いになったようですが、浄土宗の浄土院と、天台宗の最勝院で共同管理する事になったようです。 
平等院・最勝院

不動堂
最勝院の本堂のようです。
浄土院と最勝院の共同管理になった事により、平等院はどの宗派にも属していないようです。
あれ? 天台宗から引き継いだ、真言宗の人達はどうなったのだろう?
知らない内に真言宗の事が消えている...。
平等院・不動堂

池殿地蔵尊
不動堂の隣にある御堂です。 こちらも最勝院の建物でしょう。
平等院・池殿地蔵尊

源頼政の墓
先ほどの池殿地蔵尊の近くにあります。
源頼政は、保元の乱、平治の乱で活躍し、平清盛からの信頼も厚く従三位まで出世します。
しかし、頼政は以仁王の挙兵に加担した事により平知盛に追撃され、1180年に平等院境内で自刃します。
平等院・源頼政の墓

この後、時間が来たので鳳凰堂の内部を見学。
残念ながら内部の写真は撮れません。
でも、ご本尊とは14年ぶりの再会が出来ました。
しかし、歳のせいか、最近、時間の流れはが速い...。


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2023/11/23/9668032/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。