福井県 丸岡城 ― 2017年05月05日
福井県坂井市丸岡町にある日本100名城の一つです。
織田信長は一向一揆の拠点である豊原を攻略した後、柴田勝家を越前の守護職とします。
勝家は甥にあたる勝豊にこの地を任せ、勝豊は 1576年に拠点を丸岡に移し、丸岡城を築城します。
なお、現在の姿は 1613年、本多成重が城主だった頃の姿を言われてますが、天守以外の建造物は失われています。 その天守も昭和23年の地震によって倒壊してますが、部材を組み直して再建されており、日本最古の天守とも呼ばれてます。 ただ、天守の建築年代は諸説あるようで、丸岡城が築かれた 1576年とも、本多家の代(1613年以降)とも言われてます。
一筆啓上茶屋に大きな駐車場があるので、バイクを止める場所には苦労しませんでした。
高速を降りてからあっさり到着してしまい、公開開始時間の30分前でしたが、結構、人が多いです。 以外と人気スポットのようです。
本丸
結構、急な階段を登ると本丸に到着。
本丸周辺しか残っていないせいか、コンパクトに感じます。 周りは水堀で囲まれていたようですが、現在は残っていません。
本丸から下の駐車場を眺めた所。 本丸の石垣は結構高いです。
ちなみに時刻はまだ8:40なので、券売所は閉まってますがが駐車場はかなり埋まってます。
のんびりしていると、結構、混雑するのかも知れません。 天守に登る場合は早めの方が良いかも知れません。
天守
人が多かったせいか、9時ちょっと前に券売所がオープン。 入場券と100名城のスタンプを押して天守とご対面。
二重三階の望楼型天守です。 歴史を感じさせる現存天守はやはり迫力があります。
階段脇に石の鯱が置かれてます。
丸岡城は戦時中にも修復修理が行われており、その時に使われていた石の鯱です。
本来は木彫銅板張りだったのですが、当時は物資が不足していた事から石で造られたようです。 この鯱は昭和23年に地震で倒壊した時に使われていた物です。
一度倒壊した建物とは思えないです。 通常の解体修理とは違い、倒壊した建物の修復は困難だったと思います。 熊本城の再建も頑張ってほしい物です...。
二階の様子。
ここの階段も他と同様、物凄く急です。 補助用のロープが設置されてます。
早朝なのでまだ人が少ない時間帯と思いますが、人が増えると渋滞間違い無しの階段ですね...。 立派な張が渋いです。 二階の2本の柱は1階からの通し柱では無いようです。
二階にある破風の部分は小部屋みたいになってます。
屋根の瓦はだいぶ古そうです。 水が染み込みそうですね...。 大丈夫なのでしょうか...。
最上階となる三階の様子。 天上の木材が複雑に組まれてます。
三階は二階と同じ広さですが、この階の2本の柱も2階とは繋がっていません。 かなり複雑な構造のようです。
当時の城主もここから城下町の様子を眺めたのでしょう。
回りは欄干に囲まれた縁側がありますが、強度的にやばそうな感じです。
天守から降りてきた後、天守の周辺を観て回ります。
本丸から少し下った所に井戸がありました。 丸岡城は「霞ヶ城」とも呼ばれており、これは、この井戸の大蛇が霞をかけて城を守ったとの言い伝えから付いたようです。
城の後ろ側に回ってみます。
天守台の石垣が野面積で積まれており、その上には石落としが設置されてます。
板がそのまま使用されているので、火攻めには弱そうですね...。 今まで火災に合わずになによりです。
角の部分は算木積と言えばそうなのかも知れませんが、ほとんど加工されていない石が使われています。 正面の方はもう少し加工された石を使った算木積だったので、修復でもしたのでしょうか...。 ちょっと怖い石垣です。
坂井市丸岡歴史民俗資料館
奥に天守が見えます。 現在は綺麗な日本庭園ですが、入口にあった絵図と見比べると、当時、この辺りは内堀っだったのかも知れません。
天守しか残っていないような所ではありますが、貴重な現存天守は素晴らしかったです。
次の目的地、一乗谷に向かいます...。
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