広島県 厳島神社 ― 2019年01月04日
広島県の宮島にある厳島神社は 593年に佐伯鞍職が創建したのが始まりと伝わります。
御祭神は「宗像三女神」なので市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、田心姫命(タゴリヒメノミコト)、湍津姫命(タキツヒメノミコト)になります。 「宗像三女神」はアマテラスとスサノオの誓約と時、アマテラスがスサノオの剣を噛み砕いて生まれた女神です。
厳島神社は平清盛により大規模な社殿に造営されます。 戦国時代に荒廃しますが毛利元就によって再び復興します。 現在では世界文化遺産にも登録されています。
今回は電車旅なのでJR宮島口駅からJRフェリーで宮島に移動します。 フェリーの乗船時間は10分程度、料金の精算もJRのICカードが使えたので楽でした。
車で乗船する事も可能ですが、宮島側には駐車場がほとんど無いので島に宿泊する人以外は本土側の駐車場を使っているようです。
JRフェリーは大鳥居の前を通過するので、船からの眺めも良いです。
宮島は子供の頃の修学旅行以来なので何十年ぶりです...。
厳島神社への表参道商店街の手前から屋台が立ち並びます。
屋台がこれだけ出るのは正月だけかと思いますが、参拝者でごった返しています。
商店街の方はもっと人が多く、歩くのがやっとの状態でした。 写真も撮らずに先を急ぎます。
大鳥居が見えてきました。
舟からは判らなかったのですが、潮が引いていて鳥居まで歩けるようです。
鳥居に行きかけましたが、靴が汚れると神社に入りにくいので先に参拝する事にします。
参拝入り口で拝観料を支払って中に入りますが長蛇の列です。
1月4日でもこれだけ混雑しているので、三箇日はもっと凄そうですね...。
客神社祓殿
社殿は、本殿、幣殿、拝殿、祓殿の順に並んでおり、写真は祓殿と呼ばれる部分です。
参拝は拝殿に向かって行うので、祓殿は参拝者の背中側にある建物です。
「祓殿」と言うのは初めて知りました。
御祭神はアマテラスとスサノオの誓約の時に、 「宗像三女神」と一緒に生まれた「五皇子」の五柱になります。
入り組んだ廻廊部分を通ってい厳島神社本殿の方に向かいます。
今は完全に潮が引いているので地面が見えます。
これが満潮時だと海の上に浮かんでいるような感じになります。
右楽房
高舞台の周りには屋根無しの廻廊があります。
奥に見える建物が右楽房で高舞台で舞楽が奉納される時に演奏が行われる場所です。
本社祓殿
左手前に柵のような物で囲まれている場所が舞楽が奉納される高舞台で、奥に見える建物が本社の祓殿です。 厳島の舞楽は大阪四天王寺から伝わったと言われており、現在まで伝承され続けています。
厳島神社の建物は1207年、1223年の火災でほとんどの建物が消失しており、現存する物は 1240年以降に再建された物になります。 厳島神社の造営には平清盛が深く関わっていますがその時代の物は残って無いようですね...。
火焼前
高舞台の先には火焼前(ひたさき)と呼ばれる桟橋のような場所があります。
先端部分には灯籠があり、その先には大鳥居があります。
高舞台の一段下がった部分を平舞台と呼ぶらしく、現在の平舞台は 1546年に造営された物で、火焼前もその時に桟橋として造られ物らしいです。
この時は人が少なかったのですが、しばらくすると写真撮影の為の行列が出来るほどの撮影スポットのようです。
能舞台
厳島神社の能舞台は、1568年に毛利元就が仮設の能舞台を建てて能を奉納したのが始まりのようです。 現在の建物は 1680年に浅野綱長が再建した物になります。
高舞台と役割りが被るような印象を受けますが、現在でも4月にここで能が奉納されているようです。
反橋
「勅使橋」とも呼ばれており、昔は重要な祭事の時に本社に入るのに使用されていたようですが、今でも祭事の時に使用されているのかは不明です。
現在の橋は 1557年に毛利元就、隆元親子によって再建された物です。
最後に長い廻廊を通って出口に向かいます。
厳島神社の床板は全体的に隙間が多く、満潮時に下からの圧力で建物が壊れないように工夫されています。 今回は干潮だったので砂浜の上にある社殿のような感じでしたが、時が変われば海の上に浮かぶように見える特徴的な社殿でした。
参拝終了後、せっかく潮が引いていたので大鳥居まで歩いてみます。
地面は思ったよりもぬかるんでおらず、わりとしっかりしていた印象を受けました。
ただ、靴が汚れるので、革靴とかは避けた方が良いかも知れません。
意図的なのかは不明ですが、鳥居の中央部は川のように少し低く削られており、そこに海水が溜まっていました。 渡れるように石が並べられてますが、いつも渋滞していて渡るのは面倒そうでした。 社殿の方まで迂回すれば普通に歩いて渡れますが、遠回りになるのでここに人が集中するようです。
大鳥居の下の方に白くなっている跡が見えるので、恐らく満潮時はその辺りまで水没するのだと思います。 現在の大鳥居は8代目で 1875年に建立された物です。
地盤強化の為に松材の杭を打っており、鳥居はその上に 60t ある自分の重さで立っています。 重量を増やす為、鳥居の島木(二段になっている水平の木の上の方)は箱型になっており、中には石が詰められているそうです。
子供の頃に来た宮島に念願かなっての再訪問。
もう、いい歳な訳ですが、時間が経つのは速いものです....。
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