山口県 岩国城 ― 2019年01月04日
岩国城は岩国に転封された吉川広家が 1601年に築いた城です。
岩国藩は長州藩の支藩ですが、正確には「藩」ではありませんでした。 しかし、外様大名と同等に扱われていました。 藩として扱われなかったのは毛利家と吉川家との確執が背景にあったのかも知れません。 しかし、幕末に起こった第2次長州征伐では幕府側と交戦しており、毛利家と吉川家は複雑な関係だったのかもし知れません。
岩国城に行くには錦帯橋を渡り、ロープウェイに乗って山の上に登る必要があります。 今回は錦帯橋で共通券を購入しているのでロープウェイを利用します。
歩いて登れるのかも知れませんが、山裾から見える天守を見ると歩いて登る気はしません..。
ロープウェイ山頂駅にある展望台からの眺めです。
遠く瀬戸内海に浮かぶ島が見え、島の周りは雲海のようになっており幻想的です。
この城を築いた吉川広家もこの眺めを見たのでしょうか?
ロープウェイ山頂駅から岩国城天守へは少し歩きますが、道路はご覧の通り整備されているので気楽に行く事が出来ます。
大釣井
1609年に造られた井戸です。
非常時の脱出口とも言われてますが、本当に外に出られるのでしょうか?
山の上の井戸って、どの位の深さなのでしょうか? 結構、大きな井戸です。
天守
しばらく進むと岩国城の天守が見えてきました。
この天守は 1962年に建てられた鉄筋コンクリート製の復興天守で、絵図を元に建てられました。 岩国城の寿命は短く、一国一城令によって 1615年には廃城になっています。 岩国藩には城は1個しかありませんでしたが、「藩」として認められてなかった事情などもあったのかも知れません。 しかし、山裾にあった御土居(藩主の居館)は存続し、岩国の中心として幕末まで続きます。
入り口には門松が飾れていて正月の雰囲気が出てました。
日本100名城のスタンプはここの受付にあります。 内部には錦帯橋や岩国に関する資料が展示されています。
天守からの眺めです。
錦川と錦帯橋が小さく見えます。 遠くには瀬戸内海と小さな島々が見えます。
素晴らしい眺めです。
天守台
現在の復興天守から少し離れた所に本来の天守台があります。
一応、本丸内ではありますが、どうやら復興天守は本来天守があった場所とは別の場所に建てられたようです。 見晴らしも現在の場所の方がこちらよりも良さそうなので、そこら辺も関係しているのかも知れません。
石垣の角の部分は算木積ですが、野面積で築かれているようです。
空堀
本丸の北東側にある大きな空堀跡。
本丸と北之丸を分断している堀で、かなり大きな空堀です。
北ノ丸
本丸の北側を守る郭で、現在は「北の丸広場」になっています。
この先は山の斜面しか無いので、下からここまで直接登ってくるのは大変そうです。
北ノ丸から二ノ丸の方へ移動します。
右手に見えるのは本丸の石垣ですが、城全体的に手が入っている感じがするので当時の物かどうかは不明です。 何気に石材が新しく感じてしまうのは気のせいでしょうか?
出丸跡
二ノ丸の出入り口を守るように出丸が配置されています。
それほど大きくは無い曲輪なので建物とかは無かったのかも知れません。
非常に短い期間しか使われ無かった城なので正確な所は不明かと思いますが、馬出のような使い方だったのかも知れません。
大手門跡
今の大手門跡には冠木門が復元されてますが、当時は違う門だったのかも知れません。
二ノ丸
今は二ノ丸の半分は庭園として使われています。
岩国城は山城なので曲輪は全体的にこじんまりしている印象を受けます。 それほど大きな建物は無かったのかも知れません。
そろそろ戻る事にします。
出丸から外にでてロープウェイ乗り場の方に戻ります。
出丸の石垣を外から見た所。 この辺りの景観が一番美しいかも知れません。
日本100名城をめぐる旅もあと23城になりました。
何気に初めてから6年になります。 2019年も安全に城をめぐりを続けたいと思います。
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