東京都 日原鍾乳洞 ― 2020年07月24日
日原鍾乳洞は東京都西奥多摩郡奥多摩町日原にある鍾乳洞です。
東京都の天然記念物に指定されており、関東地方でも最大級の鍾乳洞になります。
昨年の台風19号の被害により見学できない状況でしたが、7月から見学が再開されました。
長梅雨が続きますが、天候が少し回復してたので訪問してみる事にしました。
ここへの訪問は10年ぶりになります。
駐車場全体としては予想外に混雑してましたが、バイク用の駐輪場はスカスカでした。
ただ、見学を終えて戻って来たときは満車状態でした。
前回訪問時はもう少し先にあるガケの下でしたが場所が移ったようです。
一石山神社
駐輪場の目の前が雰囲気のある神社だったので参拝していく事にします。
文武天皇により創建された神社のようです。 文武天皇が在位したのは 697 ~ 707年である事から奈良時代の少し前に創建された古い神社のようですが、その頃から人が住んでいたのでしょうか?
弘法大使による中興、慈覚大使による再興とも伝わっているので、長く信仰の対象として守られてきたようです。 江戸時代初期には上野の寛永寺の管理下にあったようですが、明治維新後に離脱、その後、現在の一石山神社の名称になったようです。
参拝を終えたので鍾乳洞に向かいます。
道路から沢に下りる階段の先に券売所があります。
鍾乳洞の中は手すりなどが整備されてますが、足元が不安な人は見学を止めた方が良いかも知れません...。
写真には写ってませんが、出入口では白い水蒸気のモヤが手続けてました。
気温差がそれだけ大きいと言う事かと思います。
現在公開されている範囲は東西200mの旧洞と、高低差30mの新洞の部分です。
この鍾乳洞は「一石山岩屋」とも呼ばれていたようで、鎌倉時代から修験者の聖地だったようです。
今回はストロボ無しの高感度撮影で挑戦。
中に入って思ったのが水モレの酷さです。 長梅雨の影響なのか、とにかくあちらこちらから水が駄々モレ状態です。 着ていた雨具を脱いだ事を後悔しました...。
まずは「香炉岩」と書かれた案内付近から行き止まり方面に進んでから引き返してきます。
どの辺りが「香炉岩」なのか理解できませんでしたが、右側手前に移っている丸みのある岩の事なのかも知れません...。 香炉に見えなくも無いので...。
この先は行き止まり。
続いて「蓮華岩」付近へ。
どれだけの時間をかけてこれだけの空間が出来たのか想像がつきませんが、全体的に広い空間が続きます。 腰を屈めて歩くような場所は、ほとんど無いです。
下の岩がレンゲの花に似ていると言った所でしょうか?
修験者の信仰場所だった為か、どこか宗教的な物を感じさせる名称が多く感じます。
「格天井」の案内がある付近で少し上の方を見てみます。
ツルツルとした鍾乳石というよりは、少しゴツゴツとした印象を受けます。
弘法大使が修行をしたと伝わる場所です。
奥には石仏があり、左側からは水琴窟の音が微かに聞こえてくる神秘的な場所です。
今は照明があるので薄っすらと全体が見えますが当時は真っ暗だったと思います。 おそらく当時は松明でここまで来たのだと思いますが、火が消えた時にはパニックを起こしそうですね...。
中央右側にある穴の下が「地獄谷」と呼ばれている場所です。
一段下の落ちた空間なので、「地獄」のイメージが付いたのだと思います。
「地獄谷」には「三途の川」と呼ばれている場所もあります。
地獄谷を出ると「死出の山」と呼ばれる広大は空間に出ます。
前回訪問時は、このようなライトアップはされて無かったと思います。
三脚を使って長時間露光で写したくなる風景ですね...。
この空間は地下水が溜まって出来た地底湖の跡と考えられているようです。
「死出の山」を登った先にあるのが「縁結び観音」です。
いつ頃からあるのでしょうか...。
昔の人もこの空間は知っていたと思いますし、何かしらの儀式でも行われていたのでしょうか?
しかし、ここに辿り着くまでにズブ濡れです...。 カメラが心配になります。 帰ったらちゃんと乾燥させなければ...。
さて、山を下りましょう...。
「十二薬師」と呼ばれている場所に着ました。
頭上から十二本の鍾乳石が下がっていたようですが、明治時代の冒険者により折られてしまったようです。 昔は、自然に対するモラルが低かったのかも知れませんね...。
現在は見学者の安全を祈願して十二薬師が祀られています。
この先も鍾乳洞は続きますが一般見学はここまでで、ここから新洞を通って出入口に引き返す事になります。
帰りは新洞を通て帰る事にします。
ただ、新洞は高低差30mもあるのでアップダウンが激しいです。 足腰に不安のある人は新洞は通らない方が良いかも知れません。 手すりを使わないと歩くのが困難な場所が多かったです。
新洞の存在は古文書では知られていたようですが、1962年に東海大学の探検隊によって発見されました。 よって、荒らされる事も無く、保存状態は良好なようです。
見学を終えて外の世界へ。
外に出たとたん、レンズが結露してしまいました...。
でも、涼しくて心地よい場所ではありました。
カメラの水滴を拭き取り、山菜そばを食べながら少し乾かしてから帰る事にしました。
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