京都府 京都御所(1) ― 2026年01月11日
794年に都を平安京に遷してから明治維新までの長きに渡り、京都御所は天皇の住まいでした。 現在では天皇の住まいを皇居と呼びますが、昔は内裏と呼ばれてました。
960年に内裏が火災で焼失すると再建されるまでの間、平安宮外の内裏である里内裏が使用されました。 1227年の火災以降は平安宮内に内裏が再建される事はありませんでした。
現在の京都御所も里内裏の一つで、1331年に光厳天皇が即位して以来、天皇の住まいとして定着しました。 現在でも皇室の行事などで使用される事があります。 また、事前申し込み無しで一般公開もされてますが、公開を休止する日もあるので見学する場合は事前確認した方が良さそうです。
京都御苑 今出川御門
今回は出町柳駅から歩いて京都御所に向かい、今出川御門から京都御苑に入りました。
京都御所は京都御苑の中にあり、京都御苑はかつて京都御所を囲むようにあった公家町だった場所です。 明治維新後、天皇が東京に移ると公家達も東京へと移って行きました。
そんな公家町の跡地を公園として整備したのが京都御苑です。
今出川御門は公家町の入り口にあった門で、今よりも京都御苑の外側にあったようです。
京都御苑 近衛池(近衛邸跡)
今出川御門から京都御苑に入ってすぐ右側は近衛邸があった場所です。
近衛家は五摂家の筆頭で関白を務めた有力貴族です。 内裏が火事で焼けた時は、ここを里内裏にする事もありました。
近衛池は近衛邸にあった庭園の一部です。
池に水は張られて無かったですが、普段から池の水は枯れているのでしょうか?
朔平門
朔平門は京都御所北側中央にある門です。 「朔」の字は北の方角を指します。
現在の京都御所は 1854年の火災で焼失した為、ほとんどの建物は 1855年に再建された物です。
1863年、この門の近くで破約攘夷を唱える公家の姉小路公知が暗殺される「朔平門外の変」が発生しました。 犯人は今でも不明なようです。 また、この暗殺事件は「八月十八日の政変」のきっかけとも言わてます。
築地塀
京都御所の周りは築地塀で囲まれています。 また、ここの築地塀には格式の高さを表す白い線が 5本入っています。
この築地塀は、南北約450m、東西約250m もある非常に大規模な物です。 一般見学者が入れる門は西側にある清所門で、ここから南北側を眺めると塀の先が見えないですね...。
築地塀の下には石積があります。 京都御所の敷地は南北で標高差が 2.4m もあります。 その為、北側の石積みは存在が気付かないくらい低いですが、南側に行くと石積の高さは 1.5m にもなります。
皇后門
皇后門は西側に3つある門の内、一番北側にある門です。
一般の見学者はこの門から出入りする事は出来ません。 この門の先は皇后宮常御殿があり、春と秋の特別公開の時に建物を見学する事が出来ます。
ここまで歩いてきたら、また雪が降ってきました...。
しかし、今日は本当に寒い。
清所門
ようやく、一般の見学者が入れる清所門に到着。
出町柳駅からだとかなり歩きます。 地下鉄の駅からでもそれなりに歩くので、烏丸一条のバス停から歩くのが一番楽なようです。
この門で荷物検査を受けてから中に入ります。 思ったよりも見学者が多くて検査場は混雑してました。 海外からの旅行客も多かったです。
構造は一間一戸薬医門です。
宜秋門
宜秋門は西側に3つある門の内、一番南側にある門です。
15年前に秋の特別公開に来た事があるのですが、その時は宜秋門から入って清所門から出る見学ルートでした。
今回は閉鎖されてましたが、特別公開の時は今でもここが入り口なのでしょうか?
構造は檜皮葺切妻屋根四脚門です。
御車寄
1855年の建物で、儀式や天皇との面会に訪れた人が出入りする為の玄関です。
ここからは、限られた人しか出入りできません。
木造檜皮葺平屋で格式が高い唐破風屋根になっています。
恐らく、新御車寄が建てられた後、ここを玄関としては使われていないと思います。
諸大夫の間と新御車寄
左側の建物が諸大夫の間で、右側が新御車寄です。
新御車寄の入り口は建物の反対側になります。
諸大夫の間
諸大夫の間は正式に招かれた人の控えの間です。
格式によって部屋が分かれており、一番奥の方が格式が高く、襖絵にちなんで「虎の間」、「鶴の間」、「桜の間」の順に 3部屋が並びます。
「虎の間」、「鶴の間」を使用する来客は先ほどの御車寄からはいりますが、一番格式が低い「桜の間」の来客は手前にある沓脱石から入るようです。
しかし、「桜の間」だけ入り口が違うなんて事、今でも行われているのでしょうか...。
「諸大夫の間」の内部は外から見学できるようになっています。
新御車寄
こちら側がと新御車寄の正面になります。
新御車寄は大正天皇の即位礼の時、1915年に建てられた物です。 それ以降、こちらが天皇皇后の玄関として使用されています。
屋根の形状は江戸時代に建てられた御車寄に似てますが、こちらは馬車による使用を想定しており、屋根の部分が大きく張り出しています。
紫宸殿の南側には南庭があり、その周辺は廻廊で囲まれています。
廻廊には全部で 7ヶ所に門があり、南側中央の承明門を中心に左右対称に配置されています。 南庭の廻廊は朱色に塗られており、どことなく神社などで見かける廻廊に似ています。
ただ、昔はこのような廻廊では無く、東側には北から宜陽殿、春興殿が並び、西側には北から校書殿、安福殿が並んでいたようです。 復元する時に、宜陽殿だけ復元されて他は省略して廻廊になったようです。
承明門
廻廊にある門の中で一番大きな門が承明門です。
中世に一度廃絶になりましたが、 1855年に京都御所を再建した時に儀式に用いる重要な門として復活しました。 昔は檜皮葺の屋根だったようです。
現在の承明門の様式は、本瓦葺切妻屋根丹塗十二脚門です。
現在、承明門は通れません。 南庭には隣の長楽門から入れます。
建礼門
京都御所の南側にある門で、先ほどの承明門の正面にある門です。
天皇が行幸される時や遷御される時に使われました。 最近でも海外の国賓が正式訪問された時などにも使用されているようです。
昔は重要な儀式の時に、建礼門、承明門を通って紫宸殿に入ったのかも知れません。
今だと建礼門を通った後、新御車寄から入るのかな?
紫宸殿
南庭の中を自由に歩ける訳ではありませんが、南庭の中から紫宸殿を見る事が出来ます。
紫宸殿は、即位の礼など、重要な儀礼をおこなう最も格式が高い正殿です。 明治、大正、昭和の天皇も、ここで即位の礼が執り行れました。
紫宸殿の中には天皇の玉座「高御座」と、皇后の御座「御帳台」が置かれており、平成、今上陛下の即位の礼でも使用されました。
中を見る事は出来ませんが、「高御座」と「御帳台」は 2020年に東京国立博物館で公開された時に見た事があります。
これは、2020年に東京国立博物館で公開された時の「高御座」と「御帳台」。
物凄く混雑していて、ゆっくり見れませんでしたが、滅多に見れない物なので...。
これが紫宸殿の中に置かれています。
南庭の先に進んで京都御所の後半を見学します。
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