奈良県 東大寺2014年08月16日

728 年に聖武天皇の子、基親王の菩提を弔う為に建てられた金鍾山寺が前身で、後に全国に国分寺の建立が命じられると 742 年に金光明寺と名前を変え、全国の国分寺の総本山になります。 翌年には大仏の鋳造が始まり東大寺と呼ばれるようになったようです。
開基は聖武天皇で、開山は良弁になります。

ならまちセンターの駐輪場にバイクを停めて散策を開始します。 東大寺周辺には大量の鹿がウロウロしてます。 これらの鹿は神の使いとして保護されているので、結構前から生息しているようです。
東大寺・鹿

南大門
現在の門は 1199 年に重源上人によって再建された物です。
二体の金剛力士像は 1203 年に運慶らによってたった69日で造られました。
柱の高さが 21m もある巨大な門です。
東大寺・南大門

中門
大仏殿の手前にある門で、ここから先は拝観料が必要になります。
現在の建物は江戸時代に入って東大寺を復興した頃の物で、 1716 年に再建された物です。 南大門と比べると明らかに見た目が新しいです。
東大寺・中門

大仏殿(金堂)
東大寺は1181 年と 1567 年の2度の戦火で多くの建物が焼失しています。
大仏殿もそれらの戦火で焼失し、1709 年に再建された物です。
間口 57m のこの巨大た木造建築物は現在でも世界最大級の物ですが、創建時は 86m もあったようで、これでもだいぶ小さくなったようです。
東大寺・大仏殿

東大寺・大仏殿

盧舎那仏坐像
本尊となる盧舎那仏坐像です。 「奈良の大仏」として有名です。
最初の大仏の開眼供養が行われたのは 752 年ですが、大仏も何度も再建されており、奈良時代当時の部分はほとんど残っていません。
体の大部分は室町時代後期、頭部は江戸時代に修復された物です。 よく見ると、顔の部分と体の部分で質感が違って見えます。
東大寺・大仏

東大寺・大仏

大仏を守るように周辺には大きな仏像が安置されています。
写真は虚空蔵菩薩と、如意輪観音です。
東大寺・大仏殿・虚空蔵菩薩

東大寺・大仏殿・如意輪観音

大仏殿入口の脇に、患部と同じ場所をなでると治ると伝わる賓頭盧尊者像がありました。 しかし、ここの賓頭盧尊者はちょっと怖いですね...。
東大寺・大仏殿・賓頭盧尊者

鐘楼
鐘楼は重源上人によって鎌倉時代に再建された物で、梵鐘は奈良時代に東大寺が創建された頃に鋳造された物です。
どちらも国宝指定を受けています。
東大寺・鐘楼

俊乗堂
江戸時代の大仏殿再興の時に、重源上人の遺徳を讃えて建立された建物で、国宝である重源上人坐像が安置されています。
ちなみに、毎年7月5日の俊乗忌、12月16日の良弁忌に有料ですが参拝する事が可能です。
東大寺・俊乗堂

行基堂
江戸初期の建物と推測されているこの建物には行基菩薩坐像が祀られています。 また、俊乗堂の重源上人坐像はこちらに安置されていたと伝えられています。 行基は弾圧を受けながら布教活動を行ってましたが、聖武天皇が即位すると状況が変わります。 盧舎那仏(大仏)の建立が決まると資金集めに尽力します。 しかし、大仏の完成を見る事なく 749 年に入寂しました。
東大寺・行基堂

念仏堂
鎌倉時代の建物ですが、屋根は江戸時代に改修された物です。
本尊は地蔵菩薩になります。
東大寺・念仏堂

四月堂
三昧堂の方が正式な名称なのかも知れません。
創建年代は 1021 年、もしくは、1067 年と言われてますが、1681 年の墨書銘が見つかっている事から江戸時代に建て替えられた可能性があります。
外観からも、それほど古い建物には見えません。
四月に法華三昧会が営まれていた事から四月堂の呼び名が付いたそうですが、東大寺は華厳宗なのに法華経?
東大寺・四月堂

法華堂
東大寺最古の建物で、733 年に創建されたと伝わります。
古くから華厳経を講じる場として使用されてましたが、旧暦三月に法華会が営まれていた事から法華堂、または三月堂と呼ばれるようになりました。
東大寺・法華堂

二月堂
二月堂は2回の戦火を逃れましたが、残念ながら 1667 年の「お水取り」中の失火により焼失してしまいます。 現在の建物は 1669 年に再建された物です。 建物は国宝の指定を受けています。
二月堂の呼び名は旧暦2月に「お水取り」が行われていた事から付きました。
東大寺・二月堂

東大寺・二月堂

東大寺・二月堂