岐阜県 白川郷 ― 2017年05月06日
1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されている合掌造り集落です。 白川郷の集落が何時頃からあるのかは、はっきりしないようで、平家の落ち武者伝説があるほどです。 ただ、親鸞の教えを受けた嘉念坊善俊が 1253年に白川郷に浄土真宗を伝えたとの言い伝えがあるので、少なくともその頃には存在していたようです。
予想外の大雨の中、何とか白川郷の駐車場に着きました。 白川郷に来たのは7年ぶりで、当時は駐車場が分からずに苦労しましたが、現在は大きな駐車場が整備されてました。
今回、レインブーツを忘れてしまい、駐車場に着いた頃には靴の中がぐちゃぐちゃでした。
トイレの脇でコソコソと靴下を絞ってから散策を開始します....。
であい橋
駐車場からはこの長いつり橋を渡って集落に向かいます。
ものすごくガスっていて、周辺の山が高いのか低いのかまったく分かりません。
ちなみにこのつり橋、結構、揺れます...。
秋葉神社
全国に点在する神社で、祀られている秋葉大権現は日防・火伏の神様との事。
なるほど、茅葺屋根の木造家屋は火災に弱いので、ここにはピッタリな神様です。
明善寺
メインストリートに出ると明善寺の独特な門。 早速、近くに向かいます。
あいにくの天気ですが、かなりの混雑ぶり。 交通手段がそれほど良い場所とは思いませんが、海外からの観光客が多いです。
明善寺の入り口にある鐘楼門。 茅葺屋根の鐘楼が合体した変わった門です。
建立されたのは 1801年。 建造には延べ 1425人が関わったと言うので、集落の規模から考えると大事業だったのだと思います。
明善寺の寺号を得たのは 1744年ですが、本堂が完成したのは 1827年になります。
こちらの建造にも延べ 9191人が関わったとの事です。
白川郷の長い歴史から考えると、思ったよりも新しい印象を受けます。
明善寺の庫裡
1817年頃に建てられた建物で、現在は明善寺郷土館として公開されています。
本当は中に入りたかったのですが、靴の中がビショビショで、ペタペタと足跡が付きそうなので今回は止めときました。
一見、ただの住居のように見えますが、「庫裡」と言う事なので、元は寺事務所(ひょっとしたら今でも...)だったのかも知れません。
白川八幡神社
奥に見えるのが拝殿。 創建年代が 708~714年頃と伝わりますが、神社の創建年代は古すぎてハッキリしない場合が多いです...。 この伝承が正確であれば、奈良時代には集落があった事になります。 10月にどぶろく祭が行われるようで、境内の「どぶろく祭りの館」では関連する資料などが展示されています。 前回見学したので今回はパス。
拝殿の隣にある釈迦堂。 明治の神仏分離令の影響を受けていると思いますが、取り壊されるような事は無かったようです。 1627 年に寄進されたようで、弥陀、釈迦、日輪、月輪の4体の仏像が安置されているようです。
拝殿を挟んで反対側にある白川村招魂社。
招魂社は国の為に殉職した人を祀っていて、護国神社に改称されたと思うのですが、なぜ護国神社と呼ばれていないのかは謎です。
この地域では珍しく、茅葺屋根では無い建物なのも気になります。
長瀬家
1890年に建造された合掌造りの家屋です。
この家の先祖は加賀藩前田家の御典医を勤めていたようで、なかなかの名家のようです。
横から見ると分かりにくいのですが、五階建てもある大きな建物です。
和田家
現在も住居として利用されてますが、1階、2階部分は見学する事が可能です。
和田家は代々、番所役人や名主を勤めた名家でした。 建築年代は江戸末期と考えられています。
神田家
ここも内部が見学できる建物ですがビショビショなので今回は諦めました。
和田家から分家してできたのが神田家のようです。 こちらも四階建ての大きな建物です。
茅葺屋根の寿命は40~50年位あるそうですが、囲炉裏の利用頻度が減った事などから耐用年数が短くなっているそうです。 囲炉裏に火を入れているのは、屋根を守る意味もあるようです。 そういえば、何気に茅葺屋根の建物は囲炉裏に火を入れている場合が多いですね、単なる客寄せかと思ってました。
中国からの団体客を誘導している添乗員さん、ほんとうに大変そうでした...。
自分は気ままに集落内を散策します。
一度、宿泊してみたい場所ですね...。
名古屋からバスがあるみたいだから、どうせ泊まるなら冬がいいかなぁ。
観光客がほとんどいない早朝とかに歩いてみたい。
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