埼玉県 菅谷館跡2018年11月24日

菅谷館跡は続100名城の一つで、杉山城と同じく比企城館群の一つです。
正確な築城年代や築城者は不明ですが、鎌倉時代に畠山重忠の居館として築かれたのが始まりと考えられています。
1487年、山内上杉家と扇谷上杉家の対立が激化し、長享の乱が勃発します。 勝利した山内上杉家の城として使用されますが、後北条氏がこの地に進出すると北条氏の城として使用されます。 後北条氏が進出する前に廃城になった説もあり、廃城年代は不明です。 現在の姿は戦国時代の城跡らしいです。

埼玉県立嵐山史跡の博物館
現在は菅谷館跡は公園として管理されており、敷地の一部は博物館になっています。
続100名城のスタンプはこの博物館に置かれているので立ち寄ります。 菅谷館跡の地図も置いてあったので先に立ち寄ると良いかと思います。
バイクもこの博物館の駐車場に停めさせてもらいました。
埼玉県立嵐山史跡の博物館

搦手門と土橋
博物館の駐車場出入り口が昔の搦手門と土橋があった場所でした。
空堀は埋め戻されているので土橋の存在は確認できませんが、幅 7m あったそうなので、意外と大きな門だったと思います。 堀を掘った時の土で盛られた土塁の跡は現在でも綺麗に保存されてます。
菅谷館跡・搦手門と土橋

三ノ郭
搦手門から中に入って右側にあるのが三ノ郭です。
菅谷館跡では一番大きな郭で、建物跡や井戸跡も見つかっているようです。 郭の周辺を囲む土塁も良好な感じで保存されています。
菅谷館跡・三ノ郭

菅谷館跡・三ノ郭

蔀土塁
三ノ郭から西ノ郭への出入り口には「正坫門」がありました。 西ノ郭から「正坫門」に入ると正面に小さな土塁があります。 この土塁は西ノ郭側から三ノ郭内部を見れなくする為の物で「蔀土塁」と言います。
菅谷館跡・三ノ郭・蔀土塁

三ノ郭と西ノ郭の間に架かっていた木橋が復元されています。
奥の方が三ノ丸で、出入り口には「正坫門」がありました。 郭の間には大きな堀があり、三ノ郭側は土塁が盛られているので高くなっている感じがします。
菅谷館跡・木橋

菅谷館跡・木橋

菅谷館跡・三ノ郭、西の郭の堀

西ノ郭
館跡の一番西側にある郭で、大手門と思われる出入り口があります。
よって、当時はこちら側が正面入り口だったと考えられています。
「マムシに注意」の注意書きがある事から、あまり茂みに入らない方が良さそうです。 自由に散策するなら冬場の方が良さそうです。
菅谷館跡・西ノ郭

三ノ郭から不自然に突き出た土塁があります。
この突き出た土塁横には二ノ郭の門があります。 恐らく、二の郭の門に攻めてくる敵に対して横矢を入れる為に突き出た構造になっているのだと思います。 また、門の存在を隠す役割もあるのかも知れません。
菅谷館跡・三ノ郭の土塁

菅谷館跡・三ノ郭の土塁

畠山重忠像
二ノ郭の門があった場所付近にある土塁を登ると畠山重忠像があります。 1164 ~ 1205年の鎌倉武士で、この城の最初の主と考えられている人物です。
元々、平家側の武将でしたが頼朝に恭順し、源氏側の武将として源平合戦で活躍します。
しかし、最後まで謀反を疑われ続け、息子の重保が酒席で起こした口論をきっかけに自身も討伐対象となり壮絶な最後を迎えます。
菅谷館跡・畠山重忠像

二ノ郭
本郭の北と西側を守る場所にある郭です。
奥に見える一段高くなっている場所が本郭で、その手前は深い堀が掘られています。
本郭も、二ノ郭の門付近が出枡形土塁として二ノ丸側に突き出ています。
菅谷館跡・二ノ郭

菅谷館跡・出枡形土塁

二ノ郭の「あずまや」付近では椿が綺麗に咲いてました。
菅谷館跡・椿

南郭
本郭と二ノ郭の南側にある郭で、二ノ郭よりも一段低い場所にある郭です。
今の所、この郭の利用目的などは分っていないようです。
菅谷館跡・南郭

南郭から見た本郭の土塁です。
かなりの落差があります。 土塁の手前には堀もあったはずですが、はっきりしませんでした。
菅谷館跡・本郭の土塁

本郭
城の中核とも言える郭です。
畠山重忠の館はこの郭にあったと考えられていますが、ほとんど調査されていないので詳細は不明のようです。 周辺は土塁と堀で囲まれており、出入り口として3つの虎口があります。
菅谷館跡・本郭

生門跡
本郭の東側には土塁が途切れた場所があり、生門があったと伝わる場所です。
写真は門跡の外側から本郭側を眺めた所です。
菅谷館跡・本郭・生門跡

本郭北側の虎口を外側から見た所です。
左右は堀が掘られており、通路は細い土橋になっています。 本郭の虎口は防御力を高める為に非常に幅が狭く造られています。 ただ、枡形などは無く、シンプルな印象を受けます。
菅谷館跡・本郭・北側虎口

土橋から見た本郭周辺の土塁と堀の様子です。
堀は少し埋まっていると思います。 かなり大規模な物です。
菅谷館跡・本郭の堀

博物館裏には三ノ郭で見つかった住居跡と井戸跡が復元されています。
並んでいる杭は建物の柱位置を再現しており、窪んだ場所は井戸跡を復元した物です。
この場所で見つかったのか、この場所に復元したのかは、説明文から判断できませんでしたが、住居跡、溝跡、井戸跡が博物館建設時の発掘調査で見つかっています。
菅谷館跡・復元住居跡と井戸跡

杉山城、菅谷館跡と、比企城館跡群を続けて訪問しましたが、どちらも土塁などの保存状態は良好で素晴らしかったです。 周辺には他にも多くの遺構が残されているようなので再訪問してみたい場所です。


コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hiros-info.asablo.jp/blog/2018/11/24/9012111/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。