群馬県 上野三碑 ― 2025年03月20日
上野三碑の存在は、今回の古墳散策の旅の途中で偶然知りました。
上野三碑は、2017年にユネスコ「世界の記憶」に登録された非常に古い石碑で、飛鳥~奈良時代の地方行政や仏教の広まり、地方豪族の家族関係などを知る事ができる貴重な資料となっています。
多胡碑駐車場
最初に訪問したのは多胡碑です。
バイクは多胡碑駐車場に停めて見学しました。 大きな駐車場なので停める場所には困らないと思います。 ただ、多胡碑や多胡碑記念館とは少し離れているので、足の悪い人には少し不便かも知れません。 奥に見えるのは吉井運動公園の体育館です。
南高原1号古墳
駐車場から多胡碑に行く途中にあった古墳です。
展示方法が工夫してあり、古墳の断面や石室内の様子を見学する事が出来ます。
高崎市芳井町からこの場所に移築したようです。 古墳って、移築できるのですね..。
7世紀頃の古墳と推定されています。
墳径 17m の円墳で、石室の全長は 8m です。
粘土槨古墳
先ほどの古墳の隣にあったもう一つの古墳です。 4世紀末 ~ 5世紀初期の古墳です。
こちらも高崎市吉井町から移築したようです。 墳径が 32m あるようなのですが、先ほどの古墳よりあまり大きさが変わらないように思えます。 もしかしたら、石室周辺の中核部分だけ移築したのかも知れません。
鉄剣、鉄斧、管玉などの副葬品も見つかっているようです。
多胡碑
多胡碑は、711年に多胡郡が建郡された事を記した石碑です。
碑文の内容は、左中弁正五位下の位にあった多治比真人から上野国宛てに発行した公文書の事のようで、藤原不比等の名前なども名も記載されています。
現在は保存の為の建物の中で展示されています。
見た感じ分かりませんでしたが、石碑上の笠石は江戸時代には真っ二つに割れていたようです。 250年以上の間、笠石は割れた状態だった為、2023年の修復事業でも完全に接着する事はしなかったようです。
多胡碑記念館
上野三碑のガイダンス施設です。
上野三碑に記載されている内容などを分かりやすく解説しています。
上野三碑を見学する場合は、最初に訪問すると良いと思います。
山上碑駐車場
次に訪問したのが山上碑です。 こちらにも専用の駐車場が用意されていたので、バイクはそこに停めました。
ここから山上碑のある場所に行くには長い階段を登る事になります。 山上碑は、思ったよりも山奥にありました。
山上古墳
山上碑も、隣に古墳がありました。 7世紀中頃の古墳で、墳径 15m、高さ 5m の山寄式の墳丘です。 山寄式と言うのは、山の斜面を削って玄室を造り、その上に土を盛った古墳の事です。 埋葬されていたのは、この地域の有力豪族だと考えられています。
古墳は江戸時代に手が加えられたようで、石室には馬頭観音の石仏が安置されています。 江戸時代には北甘楽郡の坂東三十三所遷しの一つだったようですが、その後、完全に衰退してしまったようです。
山上碑
山上古墳の隣にある石碑で、現在は建物の中で保管されています。
上野三碑の中では一番古く、681年に建てられた石碑です。 石碑からは佐野三家(大和政権の直轄地の事)を管理した豪族の系譜を知る事が出来ます。
長利という名の僧侶が、母の黒売刀自を偲んで建てた石碑である事が記されています。
石碑は古墳の十数年後に建てられており、その頃から古墳は黒売刀自の父の物で、黒売刀自が追葬されたと考えられています。 石碑により古墳の埋葬者が判明するケースは珍しいようです。
金井沢碑駐車場
こちらも立派な駐車場が整備されています。
ここから少し登った先に金井沢碑があります。
山上碑ほど急な階段ではないです。
金井沢碑
上野三碑の中では一番新しい石碑ですが、それでも 726年に建てられた古い物です。
先祖供養や一族繁栄を祈願した石碑のようで、三宅氏の家系についてや、仏教で結束している事、当時の行政事情などを知る事ができます。 なお、この石碑には、古い漢字ですが群馬県の「群馬」の文字が記されており、「群馬」を使った最古の文書のようです。
上野三碑は、ユネスコ「世界の記憶」に登録されるほど貴重な石碑なのですが、その割には知名度が低いように思えます...。
石碑の文字は擦れて読めなくなる場合が多いのですが、上野三碑は保存状態が良く、今でもほとんどの文字が識別できるのはすごい事だと思います。
予定に無かった見学ですが、見れて良かったです。
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