東京都 静嘉堂文庫美術館(明治生命館) ― 2025年09月13日
静嘉堂文庫美術館は東京都千代田区丸の内にある美術館です。
静嘉堂文庫は 1892年(明治 25年)に岩﨑彌之助(三菱2代目社長)が設立し、岩﨑小彌太(三菱4代目社長)によって拡充されました。 小彌太の死後も遺言により、多くの美術品静嘉堂文庫に寄贈されました。 静嘉堂文庫は 1992年から静嘉堂文庫美術館になります。
結構、前からある美術館なのですが、今回、「よくわかる神仏と人物のフシギ」の記事を見て初めて存在を知りました。
普通の美術展よりもかなり嚙み砕いた説明で解りやすかったので気に入りました。 私のような素人には、このくらいの説明が丁度良かったです。
静嘉堂文庫美術館がある明治生命館は 1934年に建てられた古い建物で、この建物自体も重要文化財に指定されています。
明治生命館を設計したのは岡田信一郎です。 建設中に病により信一郎が亡くなると、実弟の岡田捷五郎が引き継ぎました。 敗戦後は GHQ によって接収され、多くの重要会議が行われました。
1956年に返還。 正面にある古代神殿のようなコリント式円柱が特徴的です。
コストが優先される現代なら、こんな凝った装飾の建物は建てないでしょう...。
最近の高層建築は、老朽化すると修復するのでは無く取り壊されます。 多分、建て替えた方がコスト的に安上がりなのでしょう。 もう、100年以上残るような建物は建てられ無いのかも知れませんね..。
2001年~ 2004年にリニューアル工事が行われ、30階建の明治安田生命ビルと融合しました。
静嘉堂文庫美術館の入り口付近に行くと、古い建物と近代的な建物が繋がった変わった景色になります。 明治生命館の 2階は一般公開されており、美術館の後にそちらも見学する事にしました。
明治生命館見学の受付は 2階にあり無料で見学できます。
受付に行くエレベータも当時の姿を残しており、パネルやボタンは当時のままです。
エレベータは OTIS社製のようです。 OTIS社は 1853年に創業した世界最大のエレベーター・エスカレータの会社です。 日本初のエレベーターを設置したのも OTIS社です。
現在の階を示すパネルで「B」が地下階なのは分かりますが「SB」は初めて見ました。
少し調べて見たら、「地下2階」を「SB」、地下3階を「SSB」と表記する事があるようです。
会議室
GHQ に接収中、米・英・中・ソの四ヶ国による対日理事会がここで開催され、マッカーサー司令官がここで演説をしました。 理事会は 2週間隔で行われ、GHQ が廃止される 1952年まで 164回も行われました。
暖炉が設置されてますが、空調のような物もあります。 日本には 1920年から冷房が使われていたようなので、明治生命館にも冷房が設置されていたのかも知れません。
恐らく、夏は空調による冷房、冬は暖炉による暖房が使われていたのかも知れません。
控室
ここを通って食堂に入る間取りなっています。
この部屋には合わない、洗面台のような物が設置されています。 また、食事を運ぶ為と思われる、荷物用エレベーターらしき物も設置されています。
おそらく、ここが食堂の入り口だったのだと思います。
食堂
食堂の広さは会議室よりも少し狭いです。
レリーフや暖炉のデザインが美しく、平社員が昼食を取るような場所では無いと思います。
恐らく、一般的な社員食堂と言うよりは、重役がランチミーティングをするような場所だったのだと思います。 戦時中の金属類回収令は明治生命館にも大きなダメージを与えたようです。 また、GHQ から返還された後も何度も改修工事が行われているようですが、建設当時のデザインが尊重されていたようです。
メールシュート
郵便物を各階から直接投函出来たようです。
執務室
南側に執務室が 5部屋あったようで、展示されているのはその中の一つだと思います。
応接説室
3部屋の応接説室が公開されてます。
明治生命館の家具は梶田恵がデザインしました。 各部屋の特徴に合わせて、様々な西洋古典様式が用いられています。 3部屋ある応接室も、家具が違うので少しづつ雰囲気が異なります。
梶田は、家具以外にもカーテンや絨毯など、明治生命館のインテリア全体を担当していたようです。
健康相談室
1938年に健康相談室が創設されました。
今では病院と契約するのが普通だと思うので、本社に診療所があるのは珍しいかも知れません。
当時としては最新式の心電図計なども設置されていたようです。
近くに三菱一号美術館があり、そちらは何度か訪問しているのですが、その少し先にこんな良い所があるのは気が付きませんでした。
今後は静嘉堂文庫美術館の方も気にして行きたいと思います。
























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