高野山 奥の院 ― 2014年08月15日
一の橋から参拝するのが正式なルートだそうですが、往復4km を歩くのはちょっとキツイので中の橋の駐車場までバイクで移動します。
弘法大師が入定されたこの地は高野山の神聖な場所の一つです。
中の橋から奥の院へは杉並木が続き、その脇には多くの慰霊碑が建てられています。
親鸞墓所
浄土真宗を開いた親鸞の墓所です。
金剛峯寺を開いた空海は真言宗なので、異なる宗派の宗祖の墓所があるのは興味深いです。 親鸞が若い頃に比叡山で修業をした話は知られてますが、高野山とも繋がりがあったのでしょうか?
松平秀康の霊屋
初代越前松平家当主秀康の霊屋で、1607 年に二代当主忠直によって建立されました。 秀康は徳川家康の次男で、一時期豊臣秀吉に養子に出されてましがが、鶴松が生まれた事により結城家へ養子に出されます。
結城家は関川原の戦いの後、石高を増加され越前へ移封します。
豊臣家墓所
豊臣家の墓所までありました。 1940 年に秀吉を慕う人々によって建てられたようで、結構最近の物らしいです。 さすがに江戸時代に豊臣家の墓を建てる事は無いかと思いましたが...。
高野山にはこういった有名武将の墓所が多数存在するので、再訪した時にはじっくり探してみたいと思います。
頌徳殿
1915 年に高野山開創 1100 年を記念して建てられた建物で、現在は参拝者用の休憩所として使用されています。
休憩所も立派です。
御供所
「大黒天」と書かれた扁額が掲げてあるこの建物が御供所です。
ここはお札などの販売所でもありますが、弘法大師様に毎日供える食事を作る場所でもあります。
御供所の南側にある門です。 よく見ると高野山では2つの紋が使われており、ちょっと珍しいかも知れません。 桐の紋は豊臣家の家紋として有名ですが、元々は皇室が使用していた紋です。 皇室や秀吉との繋がりを意味しているのかも知れません。 三つ巴の紋は神社などで良く見かけますが、空海は佐伯家の三男であり、佐伯家の家紋でもあります。
水向地蔵
順番待ちが発生するほと混雑しているこの場所は先祖供養の為の仏像が並びます。 みなさん手前の柄杓で水を仏像にかけてますが、本当は先祖供養用の塔婆を購入し、塔婆に水をかけるそうです...。
確かに、墓石に水をかけるのもNGだしね...。 でも、ちゃんとした作法が解るように案内を書いてほしい...。
水行場
不動明王像のような仏像が奥に見えます。
水行と聞くと滝に打たれるイメージがありますが、ここでは川の水をせき止めて水深を少し深くしてるみたいです。
天候のせいか当日はかなり水が濁ってますが、普段はもっと綺麗な水なのだと思います。
御廟橋
ここから先の飲食、写真撮影は禁止になります。 橋の前で脱帽し、一礼してから渡るのが作法との事。
橋板の裏には梵字が刻まれており、橋板の枚数に橋自体を1枚として加えると37枚になる事から金剛界37尊を表しているとも言われてます。
無縁塚
参拝を済ませた帰り道で出会いました。
石仏、石塔が山のように積まれており、「無縁塚」と書かれていた事から無縁仏を供養しているのだと思います。
英霊殿
1952 年に戦没者供養の為に建立されました。
夏場に訪問した為かそれほど印象に残ってませんが、紅葉シーズンに訪れるのがベストな場所です。
有名な武将の墓や有名企業の供養塔、中には非常にユニークな形をした物もあります。 次回は一の橋から歩いてみたいですが、供養碑も見て回ったら1泊するようかな...。
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