日光 瀧尾神社 ― 2017年07月16日
瀧尾神社は日光東照宮の裏山にある神社で二荒山神社の別宮になります。
知らない人も多いとお思いますが、瀧尾神社のいくつかの建物は世界遺産「日光の社寺」の構成建築物にも含まれています。
820年に弘法大師によって創建されたようで、別宮本宮神社よりは後の年代になります。
日光の社寺の多くは勝道上人に由来しますが、ここは弘法大師に由来する物のようです。
瀧尾高徳水神社
瀧尾神社の駐車場に鎮座している神社です。
駐車場はそれほど広くはありませんが、私は満車状態の所を見た事がありません。
昭和52年に奥吉野の丹生川上神社の御祭神罔象女神(みづはのめのかみ)を分祀して祀った神社です。 藤原町高徳に鎮座してましたが、平成10年にこの地に移されたようです。
当然、世界遺産の構成建築物ではありません。 でも、ちゃんと参拝してから先に進みます。
輪王寺・開山堂で見た滝尾道が、ここ、瀧尾神社の入り口へと繋がります。
ここの眺めは素晴らしいですね...。 こちらは拝観料が不要なので、穴場的な場所です。
東照宮が鎮座するまでは、この辺りが日光参詣の中心だったようです。 現在は静かなものですが...。
運試しの鳥居
1696年に梶定良が奉納した鳥居です。
小石を三つ鳥居の穴に投げ入れ、通った数で運を試した事から「運試しの鳥居」と呼ばれています。
思ったよりも小さな穴なので、鳥居の近くから山なりに投げる方が入りやすそうですが、自分には無理ですね...。 小石を投げる場合は近くの人に注意しましょう...。
楼門
元々、門は参道の石段を登った付近にあったようですが、1697年に現在の位置に門を移し、建て替えたようです。 なかなか立派な門です。
楼門の先に見えるのは拝殿です。
拝殿
現在の拝殿は恐らく、1713年に建て替えられた物だと思います。
楼門を現在の場所に移す前は、もっと規模が大きかったようで、清水のような舞台まであったようです。 周辺の灯籠がキノコみたいな形をしていて変わっています。
本殿
拝殿のすぐ後ろにある本殿。 楼門、拝殿、本殿と連なる感じで建てられています。
拝殿だけ建て替えたので無ければ、恐らく本殿も 1713年に建て替えられた物だと思います。
少なくとも、この門や玉垣はその時に作られた物のようです。
唐門と呼ばれてますが、良くある唐門の形とは多少、異なるようです。
瀧尾稲荷神社
ここにもお稲荷様が鎮座してました。
820年に瀧尾神社が創建された時に、瀧尾稲荷神社も創建されたようです。
でも、台風によって流出した為、現在の社は昭和43年に再建された物です。
ひょっとしたら場所も元の位置から変わっているのかも知れません。
無念橋
「無念」と聞くと恨みがある時に使う言葉に思えますが、ここでも意味は自分の身を清め、俗界の思いを断ち切り「無」になる事。
自身の歩数でこの橋を渡ると奥宮まで登った事になり、願いが叶うとの言い伝えがあり、「願い橋」とも呼ばれています。 橋の先に見えるのが三本杉の御神木です。
三本杉
弘法大使が修業した時に田心姫(タキリヒメ)が現れた場所とされています。
杉の木が三本なのは、田心姫が「宗像三女神」の一柱である事と関係があるのかも知れません。 1699年、1747年、1749年に初代の杉の木は倒木しており、現在の杉の木は二代目です。 倒れた杉の木はそのまま残されていて、少しづつ土へと帰ります。
酒の泉
日光三霊水の一つです。 酒の味がすると言われ、この水で酒を造ると良酒が造れると伝わります。 秋に祈醸祭、春に報醸祭が行われていたようですが、現在は二荒霊泉で行われています。
子種石
名前の通り、子宝や安産の御利益があると伝わる霊石が祀られています。
お賽銭が投げ入れられているようで、よく見ると地面に大量の硬貨が...。
苔むした、いい雰囲気の霊石です。 いつ頃からこの地に鎮座しているのでしょうか。
さて、帰りますか...。
白糸の滝
瀧尾神社入り口の少し奥に白糸の滝があるので立ち寄ります。
弘法大使もここで修業したとか...。 近くには「大正五年九月七日 大正天皇御観瀑」の石碑もありました。
ふり返ると、瀧尾神社参拝時に渡った橋が...。
東照宮から少し離れると、こんな静かな場所があったとは...。
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