大阪府 岸和田城 ― 2019年12月27日
意外にも、岸和田城の築城年代はハッキリしていないようです。
1334年、楠木正成の一族和田氏が現在の位置より少し東に離れた場所に築城したのが始まりのようで、戦国時代の頃に現在の位置に移ってきたようです。
「岸和田」の地名は、「岸」と呼ばれていたこの地を和田氏が治めた事から「岸の和田氏」と呼ばれていた事からのようです。
1640年、岡部宣勝の代で城は完成し、廃藩置県で廃城になるまで岡部氏が城主を務めます。
蛸地蔵駅からの方が近いのですが急行が停車しないので、今回は岸和田駅から徒歩での移動になりました。 周辺の駐車場事情が良く分からなかった事も電車による訪問理由の一つです。
駅からしばらく歩くと水堀越しに天守がいきなり見えてきます。
復興天守ですが、なかなか迫力があります。
搦め手口でしょうか? ここから本丸周辺の犬走りに出る事ができます。
犬走りとは、堀と石垣の間にある細い通路のようば場所で、防御的には無い方が望ましいのですが、石垣の強度を維持する目的などで使われています。
階段部分の雰囲気が良かったので行ってみたかったのですが、ここへの立ち入りは禁止されていました。
岸和田城の石垣はかなりユニークです。
石材も技法もバラバラで、ごちゃ混ぜになっている感じがします。
修復工事により異なる技法で積まれている石垣は他にも存在しますが、境界線がもっとハッキリしています。 岸和田城は少し不思議な感じがします。
二之丸
本丸と大体同じくらいの広さがある二之丸です。
昔は御殿があったようですが、現在は公園として整備されています。
二之丸北側には伏見櫓がありました。 建物は現存していないようです。
伏見櫓は 1623年に伏見城から移築された櫓です。 伏見櫓は他にも福山城、江戸城、大阪城、膳所城、尼崎城などに存在していたようです。
二之丸から櫓門を通って本丸に入ります。 こちらが本丸への正面入り口かと思いますが、
この櫓門は 1969年に再建された物です。
残念ながら、岸和田城は堀と石垣以外の建物は残って無さそうです。
櫓門を通って右側に曲がると奥に隅櫓が見えます。
櫓門と同じく 1969年に再建された物で、内部では映像や資料の展示などが行われています。
奥に見えるのが復元された多門櫓と隅櫓。
その手前に広がるのが八陣の庭です。 八陣の庭は 1953年に作庭され、中国三国志で知られる諸葛孔明が考案した「八陣の法」をイメージしているようです。
庭園中央の巨石が「大将」で、各陣形を指揮している姿を表しています。
天守は小出氏が城主だった 1597年に建てられたようですが、1827年に落雷で消失した後は再建されませんでした。 実際の天守は 1954年に建てられた鉄筋コンクリート製の復興天守です。
小天守との連結式天守として復元されていますが、実際の天守は5層だったようで、本来の姿とはだいぶ異なるようです。 忠実に再現する事には重きを置いてなかったのかも知れません。
続100名城のスタンプはここの受付に置かれています。
天守内は資料館として使用されています。
最上階からは岸和田の街並みが良く見えます。
岸和田城は本丸の見学が中心なので見学にはそれほど時間はかかりませんでした。
反対側の水堀と犬走りを見て駅に戻る事にします。
岸和田城は現存建物は無いのですが、復興した姿が美しいです。
天守の見た目が史実と異なるのは少々残念ですが...。
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