長崎県 金田城跡(2) ― 2023年05月01日
前回の続きです。
三ノ城戸から石塁ルートを通ってビングシ山に向かいます。
ビングシ山
黒瀬地区から見た山の姿が女性の便櫛に似ている事から付けられた名称のようです。
ここからは、1間×3間の掘立柱建物跡が1棟見つかっているようです。
細長い建物のようですが、見張り小屋のような物だったと考えられています。
建物の具体的な場所が分からなかったのですが、小さな切り株のような所が柱跡でしょうか?
ビングシ土塁・門跡
発掘調査により、ここから門の礎石と土塁跡が見つかっています。
この門跡の先が二ノ城戸になります。
はっきり言って、どの辺りが土塁なのか判断が付きませんでした。
近くには数カ所の建物跡が見つかっています。
多分、門跡を二ノ城戸側から見た所だと思います。
外側から見ると、何となく、通路の両サイドが盛土されているかな?
ビングシ山から二ノ城戸までは15分程度。
こんな感じの沢の跡のような場所を下ります。
二ノ城戸
城門両側の石垣は崩壊していたようなので、現在の状態は 2004年の復元工事の時に修復された物だと思います。 城門両側の石垣には裏込め石が大量に使われていたようです。
技術的には後年の石垣と比べても見劣りしないので、大和政権時代の建築技術もかなり高かったのだと思います。
ビングシ山から沢の跡のような場所を下ってきましたが、この辺りは雨が降ると水の流れが集中しそうな場所に思えます。 内側から外側へ水の圧力がかかりそうなので、石垣の保護は大変かも知れません。
下から石垣を見上げると迫力があります。
当時はこれほど高い石垣は珍しかったと思います。 かなりの威圧感があったと思います。
二ノ城戸から一の城戸の間の遊歩道は、石塁跡の近くを通っています。
遊歩道には、石塁の石材のような石がゴロついてました。
途中で見かけた、不思議な丸い石。
何だろう?
一ノ城戸
二ノ城戸から、だいたい10分程度で一ノ城戸に到着しました。
ここの石垣の張り出し部分は高さ 6m もあります。 ここまで3つ見てきた城戸の中で、ここは最大規模の城戸かも知れません。 張り出しているのは「横矢」としての機能の為でしょう。
ここの石垣は非常に迫力があります。
よく見ると、下の方は野面積みですが、上の方は平たく加工した石材が積まれています。
1798年に対馬藩が外国船への備えとして金田城の石垣を修繕した可能性があり、その痕跡と考えられています。
その頃の金田城は廃城になっていたはずですが、江戸時代に入っても石垣の防衛能力は評価されていたようです。
来た道をビングシ山まで戻ります。
体力に余力があれば、城山砲台に行きたいので、帰りは四阿を経由する事にします。
7:30 頃、四阿に到着。
時間は十分ですが、ここから砲台跡に行くには往復2時間近く山道を歩く事に...。
体力的に無理っぽいのでここで下山する事に。
歳は取りたくない....。
この後、観光情報館「ふれあい処つしま」で続100名城のスタンプを押しました。
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