奈良県 法隆寺(1)2023年11月24日

用明天皇が自身の病気平癒を祈願する為に寺と仏像を造る事を願いますが、実現する前に崩御されます。 その意思を継いで、推古天皇と聖徳太子が 607年に創建した寺院が法隆寺です。 当時は、斑鳩寺と呼ばれていたようです。
聖徳太子を慕う人々により法隆寺は存続してましたが、670年に火災で消失します。
しかし、奈良時代初頭までには法隆寺は再建され、現在まで当時の姿を残します。

法隆寺の訪問は 約 15年ぶりです。
世界遺産にも登録されている有名な寺院ですが、法隆寺駅からのバスの本数が非常に少なく、交通の便はあまり良くありません。
今回も、駅前で前回と同じお店でレンタル自転車を借りて訪問する事にします。 15年前と同じお店が営業していた事が、少し嬉しく感じました...。

南大門
当初は中門前の石段の上に建っていましが、寺の拡張により現在の場所に移されました。
1435年に焼失し、現在の門は 1438年に再建された物です。
門の両側には土壁が伸びます。 法隆寺の壁は土壁が多く、風雨による劣化が気になります。 定期的な補修でも行っているのでしょうか?
では、ここから法隆寺の中に入りましょう。
法隆寺・南大門

法隆寺・南大門付近の土壁

南大門を通った先の参道。
奥に中門が見えますが、その手前が一段高くなっているので、南大門が元あった場所はその辺りでしょうか?
左側の塀の先には寺務所、右側の塀の先には関連寺院があります。 一般公開はされてません。
法隆寺

中門
飛鳥時代の建立された門のようで、現存する木造建築物としては最古の部類に入ります。
門の両側を守る金剛力士像は 711年に造られた物です。
西院伽藍の入り口ですが現在はこの門を通る事は出来ません。
門の左右に伸びる廻廊の左側に受付があります。 西院伽藍内は拝観料が必要です。
法隆寺・中門

法隆寺・紅葉

三経院・西室
昔は僧房(僧侶の住居)として使用されていました。
承歴年間(1077 ~ 1081年)に焼失し、現在の建物は 1231年に再建された物です。
南北に細長い建物ですが、北側十二間を西室、南側七間を三経院と呼びます。
正面からだと分かりませんが、横からみると凄く細長い建物です。
法隆寺・三経院 西室

法隆寺・三経院 西室

西円堂
北西の丘の上にある御堂です。
718年に建立され、現在の建物は 1250年に再建された物です。
本尊の薬師如来像は奈良時代に作られた脱活乾漆造の仏像です。 脱活乾漆は手間のかかる技法なので、平安時代以降はあまり使われなくなった技法です。
ここまでは、拝観料無しで見学できます。 では、受付を通って西院伽藍に入りましょう。
法隆寺・西円堂

法隆寺・西円堂

西院伽藍の廻廊
西院伽藍の周辺は廻廊に囲まれており、伽藍の中央に五重塔と金堂があります。
廻廊は飛鳥時代の物なので、多分、金堂と同じ頃の建物なのでしょう...。
法隆寺・廻廊

法隆寺・廻廊

西院伽藍北側の、大講堂付近の様子。
中央に見えるのが大講堂で、向かって左側が経蔵、右手前が鐘楼です。
西院伽藍の廻廊を上から見ると少し歪な形をしており、経蔵、鐘楼付近が少しくびれています。
飛鳥時代の廻廊は五重塔と金堂を囲むように作られており、経蔵、鐘楼の手前付近で閉じられていました。 現在のように拡張されたのは平安時代中期のようです。
経蔵は奈良時代、鐘楼は平安時代中期の建物のようです。
法隆寺・大講堂

大講堂
廻廊の外にあった大講堂は 925年に火災で焼失し、平安時代中期の 990年に再建されました。 その頃に廻廊を大講堂に繋ぐように改築したのだと思います。
堂内の薬師三尊も、大講堂を再建した時に造られた物のようです。
法隆寺・大講堂

五重塔
日本最古の五重塔です。 飛鳥時代に金堂の後に建てられたようです。
西院伽藍の中央部分に、金堂と並ぶように配置されています。
最下層の心柱の周辺は洞窟のように装飾されており、釈迦に関する四つの場面を小像表現しています。 これらの像は 711年に造られた物のようです。
法隆寺・五重塔

金堂
670年の火災の後に再建された、西院伽藍最古の建物です。 法隆寺が再建されたのは 708年とされているので、その頃の建物なのでしょう。 よく現在まで残った物です。
廻廊の中心部分に五重塔と並ぶように配置されています。
二層構造のようで、この向きからだとお城にある櫓を思い出す形状です。
法隆寺・金堂

法隆寺・金堂

朝8時に来て良かったです。
この時間だと、観光客もほとんどいません。
修学旅行の鉄板コースは、早朝に訪問するのが正解です。
法隆寺・西院伽藍

聖霊院・東室
西院伽藍の東側にある、南北に細長い建物です。
聖徳太子像を安置する為、1284年に東室の南側を改築したのが聖霊院です。
東室は僧侶の住居だった場所で、奈良時代に建てられた建物です。 保案年間(1120 ~ 1124年)に再建に近い大修理が行われているようです。
元々、同じ建物だったとは思えないほと外観が異なるので、横から見ると境目がはっきりしています。
法隆寺・聖霊院

法隆寺・聖霊院 東室

妻室
聖霊院・東室に並ぶように配置された南北に細長い建物です。
1121年に建立されました。 東室に住む僧侶の従者用の住居だったようです。
今でも十分に細長いのですが、1601年に改築された時に3分の2ほどに短くなったようです。
法隆寺・妻室

綱封蔵
高床式の宝物庫です。 平安時代の前期~中期頃の建物だと推定されています。
正倉院と同じ勅封の蔵(天皇の勅使によって封印された蔵)でしたが、僧綱所に開閉が委ねられた事から綱封蔵と呼ばれたようです。
真ん中が吹き抜けになっている、ちょっと変わった構造の建物です。
法隆寺・綱封蔵

食堂と細殿
向かって左側が食堂で、右側が細殿です。
食堂は奈良時代に建てられた建物です。 元々は政屋と呼ばれていたようで、食堂として使われるようになったのは平安時代になってからのようです。
細殿は 1268年に建てられた建物のようです。
法隆寺・食堂、細殿

先程の写真では同じような建物に見えますが、別の角度から見ると細殿の方は壁がありません。 これは、何の為の建物なのでしょうか?
法隆寺・細殿

これから、大宝蔵院、東院伽藍の方を見学したいと思います。


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