神奈川県 龍口寺(龍ノ口刑場跡) ― 2024年02月11日
今回の稲村ヶ崎からの徒歩旅の最終目的地が龍口寺(龍ノ口刑場跡)です。
日蓮上人の「立正安国論」は鎌倉幕府への非難と解釈され、1271年に日蓮上人は捕われの身となります。 日蓮上人は処刑の為に龍ノ口刑場があったこの場所に護送されます。
処刑の準備まで行われますが処刑は中止となり、佐渡への流罪で日蓮上人の処分は決着する事になります。
1337年、日蓮上人の弟子の日法が刑場跡に敷皮堂を建てて祖師像を安置したのが龍口寺の始まりになります。
小動神社から龍口寺に歩いて移動していると、江ノ電に出会いました。
江ノ電も、この辺りは路面電車として運行しています。
何度かバイクで路面電車に出くわした事がありますが、走って良い場所が分かりり難くてイヤなんですよね...。
仁王門
稲村ケ崎駅から歩き続けて、3時間弱と言った所でしょうか...。
結構、寄り道したので真っすぐ歩けばもっと早く着くかも知れません。
この仁王門は 1974年に建立された鉄筋コンクリート製なので、古い建物ではありません。
門の天井には龍の絵が描かれています。
山門
1864年に建立された山門です。
大阪雲雷寺の発願で、豪商鹿島屋某が費用を寄進して建立されました。
門には立派な龍の彫刻が彫られています。
御霊窟
龍ノ口法難の時に、日蓮が一晩幽閉されて洞窟です。
こんな場所に閉じ込めていたのですね...。 罪人に容赦無しと言った所なのかも知れません。
まぁ、日蓮は別に悪い事をした訳ではありませんが、言いたいことを言う日蓮は幕府にとっては目障りな存在だったのかも知れません。
現在は 1756年の祖師像が安置されています。
大書院
1935年に、信濃国松代藩の藩邸を移築した物です。
蚕糸御殿とも呼ばれてるようなので、養蚕で財を成した資産家が寄進したのかも知れませんね...。 屋根が特徴的な立派な建物です。
鐘楼
1969年に龍口法難750年を記念して中山法華経寺(千葉県にある、日蓮宗大本山)から移築されました。 ここの鐘は「延寿の鐘」と呼ばれており、参拝者も撞く事が出来ます。
本堂
1832年に建立された日蓮像を安置する本堂です。
龍口寺の建物は全体的に新しい物が多いので、江戸時代末期のこの建物は、龍口寺の中ではかなり古い物だと思います。
創建が室町時代初期なので、かなり歴史があるはずなのですが、そこから 1601年に島村采女が寺領を寄進する所まで話が飛ぶので、その間、どの程度寺院として機能してたのかは微妙に感じます。 専従の住職が置かれるようになったのも、1886年からのようですし...。
五重塔
かなり歴史がある物かと思ったのですが、1910年に建立されたようなので、明治時代の比較的新しい建物です。 見た目はもっと古く感じますね...。
鎌倉に五重塔は少ないようで、神奈川県でも唯一の木造五重塔のようです。
初層の上部には日蓮大聖人御一代記が奉納されています。
観音菩薩像でしょうか?
崖を削った所に安置されてました。
仏舎利塔
龍口寺の裏山を登った所にある仏舎利塔です。
五重塔の元と言われてる建物なのですが、あまり似てないですね...。 伝来する過程で、その土地の建築技法の影響を受けて変化したのでしょう...。
この仏舎利塔にはインドのネルー首相から拝受した仏舎利を安置しています。
1970年に建てられました。
仏舎利塔から眺めた所。
海がすぐ近くです。
龍ノ口刑場跡
一通りの拝観を終えて外にでると、龍口寺の入り口の隣に石碑がありました。
ここで多くの罪人が処刑されました。 もっとも、処刑されたのは全てが罪人では無く、日蓮のように幕府にとって都合の悪い人も含まれていたのかも知れませんね..。
この後、江ノ島にも行ったのですが、混雑が酷かったので軽く参拝だけして引き返しました...。
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