京都府 晴明神社 ― 2017年11月23日
晴明神社は、平安時代の陰陽師として知られている安倍晴明を祀る神社です。
晴明の業績を称える為に、一条天皇によって1007年に晴明の屋敷跡に建てられました。
応仁の乱や秀吉による都の造営により衰退しますが、氏子により整備され、1950年には境内が拡張されました。
小説や映画の影響もあり、今では多くの参拝者が訪れてます。
晴明神社へは、二条城前からバスで堀川通りを北上して一条戻橋・晴明神社前で下車しました。 バス停からしばらく北上すると左手に星マークの扁額を備えた鳥居が見えます。
思ったよりも小さな神社ですが、参拝者は多かったです。 でも、海外での知名度が低いのか、外国人旅行者の姿はありませんでした。
一条戻橋
境内では、大正10年~平成7年まで実際に一条戻橋で使用されていた欄干親柱を使用して橋が復元されています。
一条戻橋は伝説の多い場所です。 父の危篤を知り都へ向かった浄蔵は、この橋で父の葬列と出会います。 父に一目会いたい思いで祈ると父親が一時的に蘇ったとの言い伝えがあります。 安倍晴明は式神をこの橋の下に隠したとの伝説もあります。
二之鳥居と四神門
境内を進むと2つ目の鳥居と四神門が見えてきます。
晴明が屋敷に住んでいた頃、朝廷の遣いが訪れると自動的に門が開閉したそうです。
現在この門は電動で動くそうで、中々、洒落ています。
晴明井
晴明の念力によって湧き出たとされる井戸です。 飲むと病気平癒の御利益があるとの事ですが、これではね...。 それとも、横から水が出てたのかな?
晴明井の近くには北斗七星のマークがありました。
拝殿
この奥に安倍晴明を祀る本殿があります。 現在の本殿は明治38年に建てられた物になります。 小さな神社ですが、参拝の順番待ちが発生してます。
ちなみに、晴明神社は「魔除け」、「厄除け」の神社です。
こちらが安倍晴明公。
920 (921年の記載も...) ~ 1005年の人物で、85歳と言う年齢は当時としてはかなりの長寿だったと思います。 50歳の頃に天文陰陽博士の役職だったそうなので、知名度の割には意外と遅咲きだったようです。 式神を意のままに操ったとされる人物です。
厄除桃
拝殿の左側には晴明像がありますが、その反対側には桃の像があります。
桃は、陰陽道では魔除厄除の果物とされていたそうです。 撫でると厄払いができるとか...。
政治にまで影響を与えていた陰陽道ですが、江戸時代以降は徐々に影響力を失い、明治に入ると迷信として廃止されました。 今となっては、小説や映画の世界の話ですね...。
御神木
樹齢 300年と推定される楠です。
両手を当てて大樹の力を受けると良いそうです。
これは何ですかね...。
京都の街を意味してるのでしょうか?
今回、初めて晴明神社に訪れました。
陰陽道自体が現代人にはなじみが薄いので、好奇心が刺激されるのかも知れません。
京都で海外旅行者が少ないと言う、珍しい場所でもありました。 (ただの偶然?)
そろそろ北野天満宮にライトアップを観に行きましょう...。
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